まえがき
本書は一九九二年四月から、二〇〇〇年五月までの八年間に書いた短い文章を集めたものであ
る。そのとき、私が何を思い、何に悩み、何に苦しんでいたか、本書を読めばわかるだろう。
出版するに際して、私はゲラを読み返さなかった。読み返さないで出版するのははじめてなの
だが、その理由は単純で、加筆、訂正するつもりがなかったからである。二十三歳の私が書いた
ものを、三十二歳の私が直す----、直すことはもちろん可能だが、元のかたちを留めないほど手
を入れ、おそらく三分の一ぐらいは全文削除の憂き目に遭い、薄い本になったに違いない。一冊
の本の中に二十三歳の柳美里と三十二歳の柳美里を同居させたかったので、手を入れないことに
決めた。そう決めても、読み返せばかならず手を入れてしまうので再読を禁じたのだ。
しかし気になる。ぱらぱらとめくってみたところ、ここに書いてあるのは家族の〈物語〉が多
い。しかも楽しかったこと、うれしかったことは影をひそめ、辛かったこと、哀しかったことが
圧倒しているようだ。
「何、さっきからぼうっとしてるの?」
小さいころから、周囲のひとたちによくいわれた言葉である。
傍からぼうっとしているように見えるときは、思い出していたのである。
私にとって思い出すという行為は、楽しかったことを頭の中で蘇らせてふたたび楽しむことで
はなく、悲惨な出来事を誤読して〈物語〉にし、私に苦しみや痛みや哀しみを与えたひとびとを
〈登場人物〉のように扱うことに他ならない。私は辛いものでしかない現実を〈物語〉に創り変
えて、自分もまた〈登場人物〉の一員になることで、現実を消滅させていたというより、現実か
ら姿を晦ましていたのだ。私はものごころついたころから〈物語〉の住人だった。
ぱらぱらとめくって、それからめくる速度を落としていくと、炎で灸ると浮かびあがる果
汁で描いた絵のように、二度と違うことのできないふたりの男の輪郭が浮かびあがってくる。
ひとりはこの世にいない。
私が東由多加と出逢ったのは一九八五年二月である。本書の最後の一文「東由多加を悼む」以
外は、すべて東の生前に書き、東との暮らしの中で書いたものがほとんどだ。
東とは死に別れ、もうひとりの男とは生き別れた。
彼は、今年の一月十七日に生まれた私の息子の父親だが、妊娠六ヵ月のときに別れた。
「東由多加を悼む」の前の五編「異界からの使者」「安息の時間」「孤島に取り残されて」「短い
夏の逃避」「飛び込んできた『ポーポ』」は彼が私の部屋で寝泊まりしていたときに書いた。彼の
目の前で書いた文章もある。
冒頭に「そのとき、私が何を思い、何に悩み、何に苦しんでいたか、本書を読めばわかるだろ
う」と書いた。本書の頁をひらくと、不在者であるふたりの男の輪郭とともに、その一文を書い
たときの状況も勝ってくる。
『魚が見た夢』というタイトルにした。魚は水に取り囲まれている。水がなければ生きていけな
い。 私が魚だとしたら、水は痛みだ。痛みがなくなったら、私は書けなくなる。そして書くことで
痛みの水位はさらに増していく。私は私を私自身から救い出そうなどと考えてはいない。ずっと
永いあいだ、救い出してくれる誰かを夢見ていたが、ふたりの男との訣別によって夢見ることを
やめた。
私は私を私自身に閉じ込めておくために、書ける限りのことを書いて、痛みの水で私白身を包
囲した。泳ぐことも、浮きあがることも、沈むこともしないで沈黙と痛みの中に静止している急
─、魚はときどき痛みのあまり口をひらくが水に囲まれているので声にはならない。泡が水面
に向かってのぼっていくだけだ。
どうか水面に目を凝らし、耳を澄ましてください。
二〇〇〇年九月
柳美里
魚が見た夢
魚が見た夢
私は十四歳のとき、家出をした。海に行こうと、最終電車が去った後の線路を眠らずに歩いた。
寒さと疲れで脚はがくがくした。けれど私の体はふらつきながらも前に進んだ。踏切りの遮断
機が鳴り、始発が近づいているようだったので眠る場所を捜して、海底に沈んでいるような早朝
の街をふらふらとさまよい、公園を見つけ、ブランコで少し遊んでからすべり台の上で斜めに寝
そべつた。一晩中、ゆらめいていた白いいらいらする糸のもつれた感覚を、蜘蛛の巣のように振
りはらい、私はうつらうつらしながら、自分を取り巻いている空気を過去の空気に変えていった。
足の生えかけたおたまじゃくしを隣の水槽の中のざりがにに全部食べさせた六歳の私がいる、放
課後の一年三組の教室。小学校の前にある歩道橋を渡るとどこも見慣れた家ばかりになる通町三
丁目の通学路。パパが他人の家の庭から盗んできた仔犬、ペペ。隣の席の小早川君の野球帽から
ひとつひとつ盗んで、弟の帽子につけかえた野球バッジ。
目を醒ますと、空は赤いセロファン紙で覆われたように真っ赤で、私は自分がどこにいるのか
わからなくなった。
その夜は、永遠に続く黒い河のような線路を歩く勇気が起こらず、線路沿いの道を歩いた。い
つの間にか線路から離れてしまったようで、道が蛇のように波打ちはじめ、道の両脇に黒い大き
な手のような木が覆い被さっていた。恐ろしかったが、私は自分を知っている人間がいる場所に
戻るくらいなら死ぬまで走っていたほうがましだと思った。学校の聖書の授業で教わった主の祈
りを口ずさみ、道が行き止まりにならないことを願いながら、たてがみみたいに生えている雑草
を踏みつけて走った。どれくらい道ではない場所を走っただろう?いきなり目の前に冬の黒い
海が見えた。膨れ上がっては、またゆるやかに下降する海の息づきが、水面に油のような反射を
明滅させていた。私はすみずみまで自分を憎悪して、自分であることさえ嫌だったので、海に自
分を連れて沈んでしまいたかった。靴を脱ぎ、濡れた砂の上を歩き、海水に腰まで浸かった。そ
のときだ、私の背後で懐かしい笑い声が聞こえた。振り向くと……パパ…ママ…弟・・・・妹:…・口を
きいてくれなかった小学校のころの同級生……十四年間生きて、出蓬ったすべてのひとびとが波
打ち際に立って、笑っていた。大きな泡がひどく大きくなって心臓におしよせて、私は笑った。
その瞬間、波に呑み込まれ、私は海に沈んだ。
気がつくと、砂浜に打ち上げられていた。そして、寒さに震えながら夜が潮のように引いてい
くのを眺めていた。
十四歳のそのときから、私は過去を、失われた時だけを夢見ている。夢を見るには力が要るか
もしれないけれど、すべてのエネルギーを失った、その果てに見る夢だってあるのだ。
本文P.9〜15より
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