私達の多くの人が今着ている服は、西洋のスタイルだ。
明治までは日本人は着物を着 ていて、それから洋服が入ってきた。
しかし、着物の前にも、私達にはそれなりの服 があっただろう。
原始人のころから着物を着ていたわけではないだろうし、何も着物 にこだわる必要もない。
ただ、長い間、着物は日本人の衣服として完成していた。
着 物ももとはどこからか入ってきたものかも知れない(無学でどうもすみません、この 手のこと、僕、書くのはいいんだけど、調べもせずに書くから、たまに見当はずれな
ことになるのよね)、しかし日本人はとにかく着物を自分たちの着衣として消化した 。
しかし、段々洋服が入ってきて、私達の服は変化し始めた。
洋服も変化した。
明治 のころの写真を見ると、ほとんどの人は帽子をかぶっている。
今はあんな帽子をかぶ る人はいない。
それから時代はまた進んで、今は今で、私達はストリートのカジュアルを消化したと、僕は思う。
しかしこれは人による。
消化しきれていないととてもか っこうわるい。
ほら、中学生が、雑誌とか読んで、格好をつけようと思ってもスタイ ルだけまねして、自分のものになってなくて、だったら制服着てた方がいいじゃん、
みたいなかっこう悪さがある。
新しいものを紹介しようと思って自分でそれを形だけ 取り入れる文化人やモデルや雑誌、美術にも同じ事はいえる。
ほら、よくアジア料理 の店にいくと、その国の言葉でロックとかかっていて、何かとてもダサく聞こえる時 があるんだけど、西洋の人たちから聞いたら日本のロックとかもそう聞こえるんだろ
うなと思った。
でも、そんな人も沖縄の音楽とか聞いたら新鮮に感じるに違いない。
要は完成度の問題で、自分なりに消化していればどんなものでも格好いいし、消化しきれていないと中途半端で格好わるい。
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