キンさんはいくつなんですか?
30です。
1969年9月12日。
あと3か月もしないうちに31です。
年令は自分にとっては厄介な問題でした。
見た目より若いということは、いいのだか悪いのだかわかりません。
年令はあまり関係ないのですよ。
相手がいくつだろうと話ができる人は深い話もできるしできない人はできない。
僕は30年生きてきましたが、今日まであった人の数、経験したことや、充実した内容という点では倍くらいの人生を経験をしてきたと思っています。
こんなことをぬけぬけと書くと、思い上がっているとお思いかもしれませんが、正直「これだけ生きてまだ30年?」と思える部分はあります。
ただ、年令のことでいえば、それは生きる速度なのではないでしょうか?これが人生の早さと老ける早さは反比例するから不思議で、退屈な人生ほど老けるのは早く、充実した人生ほど老けるのが遅いということです。
だから20才でも(老けるのが)早いバスに乗っていれば40才くらいの人もいるでしょうし、40年生きてもゆっくりとしたバスに乗れば、20才くらいの人もいるわけですよ。
今年のポストカード作品「出口のない迷路を彷徨う青年」に書いてある「人生はバス旅行」というのはそういう意味です。
前は「いくつなんですか?」と聞かれて、たとえば29だったらそう答えて、相手に「え、見えない!」と驚かれた時のリアクションの仕方に困って、照れるのも馬鹿馬鹿しいし、相手にいくつに見えるか聞いて22とかいわれてそう答えれば相手が納得するんなら僕も楽だからそれ以降「22です」と答えたときもあったけど、「若いのに本とか出てすごいですね」とかいわれて逆に困ったしとにかく嘘の上塗りになる。
僕はもともと嘘をつく気もないからどうしようと思いました。
童顔なんですよ。
そういう話をしていたらある人に、「本当の年令をいって驚かれてリアクションに困ってもそんなの本の2,3秒なんだからいいじゃない」といわれ、それもそうだなと思い、それからは正直に答えることにしました。
それからその人には「いくつ?」と聞かれて「いくつに見える?」と聞き返すのはキャバクラの会話だとも指摘されました。
(書いた時現在です。
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