くらげ




私達日本人は特に何の宗教もなく、一週間のうちにクリスマス(キリスト教)を祝 い、除夜の鐘を聞き(仏教)、神社にお参りに行く(神道)ことのできる寛容性があ り、便利でおめでたい民族でもある。

この、面白そうなこと、またクリスマスやヴァ レンタインなど、商売につながることは何でも利用してしまえという態度は一神教の 信者からは誤解を招くし怒りもかうが、私達は強く意識はしてなくともこのような風 土で育ったのだ。

日本には昔から八百万(やおよろず)の神といって、すべての物に 神性を見い出す気持ちがあった。

八百万の神という観念もこれは神道のものではある が、私達一般大衆にはどれが神道でどれが仏教かということさえも区別がつかず、不 思議なものはみんな神だった。

それは神、仏に限らず、山や岩や水だって崇拝の対象 だったし、ヘビや孔雀ほかの動物だって同じこと。

これは、豊かな自然に囲まれた地 域に育つ観念なのだ。

対する一神教は砂漠という厳しく、一致団結が求められるとこ ろから絶対者の存在というものが生まれた。

 さて、私達はそのような感じで、色んなものに願いはかけるものの特にこれといっ て強いものにすがっているわけでもないので、ひとつの神を強く信じている人たちよ りは強い信念のもとに生きることができない。

日本の中でも何かの宗教に強い信仰心 をもって生きている人は私達よりも強く生きることができる。

特に信仰を持たずに都 合のいい時だけそばにいる神様や占いに頼るだけで、あとはふらふら漂っている。

私 達は海にぷかぷか浮かぶクラゲのようなものなのだ。

しかし、それでいいのだ。

信じ られないものを無理に信じるのもおかしい、というかそんな自分を笑ってしまう自分 がいるし、それだけ危険も少ないのだ。

世界中のみんなが同じ神様を信じていたら世 の中は今よりも平和になっていたことは確かだ。

しかし、そうはならない。

神様の事 は昔に比べてその存在が弱くなったことをみんなはうすうす気がついているのだが、 私を含め、多くの人が思い切れないでいる。

それは仕方ない、弱い存在なのだから。

織田信長やニーチェ、それからジョン・レノンのようには簡単にはなれない。

なれた としてもいやな奴になっているような気がする。

私達日本人はこれでいいような気が している。

無理矢理何かをすることはない。

何にも頼らずクラゲのようにぷかぷか浮 かぶことは、宗教を信じている人たちから見れば、不幸なのだ。

何にも守られていな いのだから。

しかし彼らは本当に守られているのか?見えない鎧を着ているつもりだ ろうが、その鎧は本当に守ってくれているのだろうか?いや、まあきっと守られてい るんだよ。

その人が守られていると信じていれば、たいていの事はね。

しかしだから といって受験に受かるとは限らないけどね。

神様も超能力者ではないからね、頭の悪 い人をいくら信心深いからって難関大学に合格させたりはできないよ。

そんな問 題じゃないんだろうな、宗教は。


 

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