僕はインディーズということにこだわっているわけでもなければ、メジャーを目指しているわけでも、またそれを拒否しているわけでもありません。
僕は多くの人に自分 の作ったものを見てもらいたいと思っています。
自分の作品が自分の満足の行くよう に作れて、それを受け手に伝えることができればその手段が何であろうがいいのです 。
僕が初めにものを作った時、それを発表し、受け手に伝える機関である出版社やメーカーが僕の周辺にいなかったから自分でやっただけです。
自分で作品を作り、それを受け手の目につくところに置く。
それには色んな方法が あります。
僕は最初は詩を書いていました。
またイラストも書いていました。
それを ある人の紹介である大きな出版社の人に見てもらったことがありますが、向こうはや はり僕を売っていく自信はなさそうでした。
それはそうですよ、僕はただのプ−で、 趣味的に詩や絵をかいていただけですし、向こうも僕を売っていくために大きな投資 をして本を作ったり広告をうったりするのですから。
おまけに、当時(93年)は、今みたいなこの「インディーズ」とか「路上」とかいわれる少し前でした。
僕が95年に路上を始めた時は、歌っている人なら聞いたことがあるが、路上で絵を売るのは珍しいといわれたものでした。
しかし、僕は始めた時から路上のパワーというものが期待以上だと思いました。
一言で言えばそれは集まってくる情報の多さといったらいいかもしれません。
路上にいればいるほど、ネットワークと言うものは広がるわけですから。
話はそれましたが、それで、まあもっともな理由で出版社とかとかかわるのは無理だったわけですが、自分の作品を受け手の目に届かせるということは何も出版社だけができることではありません。
本を作りたければ自分が出版社になればいいのです。
自分で本を作ってそれを本屋においてもらえばいいのです。
しかし、僕には本を作るお金はありませんでした。
そのころ、大学時代のAという友人が僕と何か会社をやろうともちかけてきて、僕は今書いたようなこと、つまり、自分で出版社を作り、自分達の芸術を受け手に伝え
ていくことをしようといいました。
本は無理でした、本はお金がかかる上に本の流通 は僕達には入れないほどのシステムができあがっていたからです。
それでTシャツを 作ろうとしましたが、それも高いのでやめ、結局、絵葉書を作ることにしました。
二 人でお金を出し合い、印刷所を探して絵葉書を10種類、500枚ずつ、計5000枚つくり ました。
自分たちでハガキを作り、お店に置いてもらおうとしたのです。
そういうことなのです。
自分の作品を受け手の元に届けるのはいくらでも方法があるのです。
自分で作品を作り、お店に置いてもらう。
お店がダメなら自分でお店を持つ、そのお金がないなら、路上で売る。
ね、考えればいくらだってできるわけですよ。
うまくいけばそこから一人歩きするわけですから。
僕は幸いなことにすぐお店に置いてもらえました。
吉祥寺のピンナップスさんと原宿の現代屋、それから下北沢のEXの3軒、が最初に僕の絵を認めてくれました。
インディーズとメジャーの一番の違いはその組織力の違いです。
メジャー はもちろん大手ですから、つまらないと思える作品でもその営業力と広告力、それとできあがった流通のシステムで広く知られわたる事になります。
インディーズは、そこをも自分達で開拓していかなければならない。
今はwebというものがあって、昔よりはやり方によっては早く話題になることはできる。
そう、インディーズでの成功とは、売れなくてもいいから話題になることなのです。
僕にとっての話ですが、結局インディーズであろうが、メジャーだろうが、自分の 作りたいものを自分の納得のいくかたちで出せればそれでいいのです。
それがいいものであったら、必ず手ごたえはあります。
というのは言うまでもなく、自分でいいと思ったものでも、自分で納得したものでも、受け手が何とも思わなければそれで終わりだからです。
基本的には自分のためにやっています。
それでお金になればなおよく 、さらにそれで人も喜ばせることが出来たらなおなおいいということです。
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