私の話
辺見のお姉さんは、私よりも一回り年上で、子供の頃には憧れの異性の代表だった。その辺見のお
姉さんが四十代後半の年齢になり、目の前に現われ、「四十は不惑って言うけど、惑ってばっかりだ
よね」と陳腐なことを口にした。が、それは、それほど不愉快なことではなかった。
「四十で惑わず、というのは、孔子の場合らしいですよ」一応、言い返した。「僕たちみたいな普通
の人は、その五割増しくらいに考えて、六十歳で不惑、って思ってたほうがいい、ってそう教わりま
せんでした?」
「そんなの学校で教わるんだっけ」彼女が首を傾げる。顎周りについた肉が少し膨らむのを見て、胸
が痛む。私が子供の頃にうっとりした、あの、清潔感を漂わせていた美しい首筋はどこへ姿を消した
のだろう。
「辺見のおばさんに教わったんだけど」
「うちのお母さん?」
「ちょっと前、実家に帰った時、辺見のおばさんがうちに来てて、お袋と喋ってたんですよ」還暦
過ぎの白髪頭の女が二人でダイニングテーブルに座り、お茶を飲みながら、「あれは孔子ちゃんだか
ら、四十で済んだのよ。立派だから。わたしたちの場合は六十くらいでいいんじゃない」と喋ってい
た。何が孔子ちゃんだ、と呆れた。孟子ちゃんはね、とも言っていた。
「二郎君のお母さん、まだまだ若いよね。この間、久々に会ったけどぜんぜん変わってなくて」
辺見のお姉さんは贅肉が増えたにもかかわらず、萎れた印象があった。目がきょろきょろと動き、
俯き気味で、先ほど注文を取りにきたファミリーレストランの店員にも怯えているように見えた。
「お袋は六十過ぎて、親父が死んでから吹っ切れたんですよ。迷うことなく、自分の思うがままに生
きるようになって。ほら、孫悟空の頭の輪が外れたみたいに自由になったんです?
「緊箍児のことね」
「あの輪ってそういう名前なんですか?」
ええ、そうなのよ、二郎君知らなかったの?と彼女は微笑む。
目の前の、「辺見のお姉さん」はすでに、「辺見」という苗字も手放し、「お姉さん」という年齢で
もなくなったわけだから、私にとつては呼び名を失った曖昧模糊とした存在のようだったが、とりあ
えずは、「辺見のお姉さん?と呼ぶほかなかった。今さらここで、辺見のおばさんと言い換えるのは、
この世でやってはいけないことの}つに思えた。かと言って、新しい苗字を呼ぶのもよそよそしいだ
ろう。
辺見のお姉さんが結婚し、町を出て行ったのは私が中学生の時だ。小柄で細身ではあったけれど、
健康的な小麦色の肌をして、躍動感に満ちていた。瞳には愁いがあった。美しいなあ、と思春期真っ
盛りの私は憧憬を抱いた。新居に引っ越す日、私の家に挨拶にやってきた彼女が、「二郎君も元気で
ね」と握手をしてきた時、ぶっきらぼうに挨拶を返しながらも、恋愛成就と失恋と性的体験を同時に
味わうような、そわそわとした思いを感じた。それきり今まで会うことはなかったが、まさか、二十
二年も経って、こうしてファミリーレストランで向かい合うことになるとは、しかも、辺見のお姉さ
んの息子がひきこもりになっていて、そのことで私に相談してくるとは、予想もしていなかった。
「半年くらい前まで、眞人もカウンセリングに通っていたんだけどね」辺見のお姉さんの暗い雰囲気
はどこからというのでもなく漂い、やはり、萎れているようにしか見えない。肌には黒ずみが窺えた。
老化によるものではなく、精神的なくたびれが原因としか思えない。目の下には隈ができ、ほうれい
線がくっきりと刻まれている。
「カウンセリング、三ヶ月くらい通ってはいたのよ。月二回くらいだったけど。でも、眞人が急に、
『ここに通っても意味ない』って言って、それきり?
私は店内を見渡す。比較的、店内は空いていてそれが救いだった。どうしたの、と辺見のお姉さん
が窺ってくる。
「実は苦手なんです。ファミリーレストランが」
辺見のお姉さんは当然、理由を聞いてきた。私は何と説明すべきか悩んだ。ファミリーレストラン
にはさまざまな人間が集まってくる。その上、意外にテーブル同士が近く、横から、もしくは背中越
しに、他人の会話が聞こえてくることが多かった。騒がしいBGMがかかっているわけでもないため、
声も聞き取りやすい。それが私は苦手だった。怖い、と言ってもいい。誰かが困っている声や相談し
ている話、嘆きや悲しげな話題が聞こえてくると、気にかかって仕方がないのだ。同情するのではな
い。誰かが困っていると、私は、「どうにかしてあげたい」と思う。傲慢なのは承知している。 |