最初にその女のひとを見たのは、フローリスト木村の店先だった。
店先には、一束三百円の作りおきの花束がバケツの水につけられてある。ふつうの花屋さんの
ように、黄色い小菊にピンクのガーベラ、などというとりとめのない組み合わせではなく同系色
でそろえてあって、可憐なのだ。だからときどき発奮して部屋に花を飾るときには、「買いもの
道」からは外れるのだけれど、いつもわたしはフローリスト木村まで足をのぼすことにしている。
「買いもの道」というのは、主婦のけもの道、とでも言うべきものである。わたしの場合、いち
ぽんよく行くスーパーマーケットである丸鷹を起点として、ほぼ毎回のぞく小店の並ぶ大きな楕
円形の道筋が、それにあたる。
家から出て時計まわりでまず丸鷹、次に角の百円ショップ、ドラッグストアのルック、駅に最
も近い銀行、そしてまた家方向に戻りながら花村パン屋、宮田豆腐店、最後に再びふりだしの丸
鷹につながる道筋を、ほぼ毎日わたしは行く。歩く道路の側だっていつも決まっているし、道を
渡る時もたいがい同じ場所信号のないところ。待つのはきらいだから─だし、丸鷹に入っ
てからめぐる棚や売場の順番も、決まっている。
あるとき、
(町はけっこう広いけど、わたしの靴の裏に蛍光塗料をぬって足跡をつけてみたら、その跡って、
ものすごく単調な決まりきったコースになるんじゃないかな)
と思いついた。実際に靴の裏に蛍光塗料をぬったつもりになって、三日間、注意深く頭の中で
自分の足跡を辿りながら歩いてみたら、ほんとうにそれは、するっと決まりきった狭い道筋にな
ったのだった。
(これは。けもの道、だ)
そう思って以来、「買いもの道」という言葉を、わたしは使うようになったのだった。使うと
いったって、もちろん自分の頭の中でだけ、なのだけれど。もしも、よその奥さんや光に言って
も、
(妙てけれんなひと)
という顔でじろじろ見られるのがおちだと思うから。
そんなわけで、誰に話すわけでもないけれど、無数の女のひとや、たまには男のひとの、「買
いもの道」が、町の中じゅうに縦横無尽にめぐらされて、交差したり寄ったり離れたりしている
のだ、と思いめぐらせながら、わたしは毎日歩いている。何の意味もないのだけれど、ちょっと
ばかり、愉快な気分になる。
さて話を戻して、フローリスト木村で見た女のひとについて、だ。
すぐにおたしの考えは横っちょにずれてゆく。光は、
「お願いだから、あっちこっちに飛んでいかないでくれ?
と言うけれど。わざとあっちこっちに考えを飛ばそうと思っているわけではないのだ、わたし
だって。ただ、油断していると、知らない間にわたしはどんどんいろいろ連想してしまうのだ。
そうすると、最初に考えていたことは、自然にどこかにみえなくなってしまう、という次第なの
である。
そういえぽ、結婚前に考えていたよりも、光は要求の多い男だった。
「物はちゃんとあるべき場所に置くこと」
光はいつも言う。考えが飛ぶのをいやがるのと同様、ものがどこかにみえなくなってしまうこ
とも、光は好まない。きれい好きなのだ、光は。家の中は、掃除が行き届いているだけでなく、
整頓もきちっとされていなければならない。
(うるさいなあ)
と思いながらも、光に指摘されるとわたしは腰をあげて、散らばった新聞や飲みさしのコー
ヒーマグやさっき脱いで部屋の隅にそっと置いておいたくつした!ごはんの支度をしているう
ちに暑くなったから脱いだのだけれど、食後じっとして寒くなったら履こうと思っていたを、
そそくさとかたす。すると光は、
「そうじゃなくって?
などと早口で言い、わたしよりもずっときちっと新聞をたたみ、コーヒーマグは流しに運んで
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