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 津軽百年食堂
 
森沢明夫/著 出版社:小学館 定価(税込):1,575円  
第一刷発行:2009年3月 ISBN:978-4-09-386245-5  
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津軽の地で、百年の刻を超え、営々と受け継がれていく「心」が咲かせた、美しい奇跡と感動の人間物語。美しい映画のようなこの小説を読み終えたとき、あなたは自分の周りのすべてを抱きしめたくなっているでしょう。
 
津軽百年食堂 森沢明夫/著

本の要約

ふるさと「弘前」を離れ、孤独な都会の底に沈むように暮らしていた陽一と七海。ふたりは運命に導かれるように出逢い、惹かれ合うが、やがて故郷の空へとそれぞれの切なる憶いをつのらせていく。一方、明治時代の津軽でひっそりと育まれた、賢治とトヨの清らかな恋は、いつしか遠い未来に向けた無垢なる「憶い」へと昇華されていき…。桜の花びら舞う津軽の地で、百年の刻を超え、永々と受け継がれていく“心”が咲かせた、美しい奇跡と感動の人間物語。

森沢 明夫 (モリサワ アキオ)
1969年千葉県生まれ。作家。早大卒。「ラストサムライ片目のチャンピオン武田幸三」で第17回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。ヒット小説「海を抱いたビー玉」は韓国語版にもなり人気を博す。小説、ノンフィクション、エッセイと幅広い分野でエンターテーメント作品を生み出している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


オススメな本 内容抜粋

【大森哲夫】

この冬も、津軽地方の雪は少なかった。
三月もいよいよ後半を迎えたけれど、すでに道路の積雪はほとんど消えていた。残ったのは、歩
道の脇に雪かきで積みあげられ、小山のようになった雪の残骸だけだ。
自分が子供の頃は、まだこの時期は銀世界だったはずだ─大森哲夫は、自身が営む古びた食堂
の窓から、まだほの暗い外の風景を眺め、幼少の頃に見た風景を憶った。
北風が吹き、ペンキのはげかけた木枠の窓がカタカタと鳴った。すきま風がすうっと忍び込んで
きて、哲夫の首筋をなでる。思わず着ていたどてらの襟を合わせて、ブルッと身震いした。
店と住居が一緒になったこの建物は、今年六十四歳になる哲夫よりもいくらか年老いた昭和の遺
物だ。すでに梁も柱も飴色に光り、廊下や台所を歩けばギシギシと音をたてる。もう、あちこちに
ガタがきているけれど、愛着があるから建て替える気にはなれないでいる。店内の椅子も、テーブ
ルも、半分は昔のままで、それらにも少しガタがきていた。だから、休日を使って、哲夫は少しず
つ自分の手で普請をし続けている。
淡い紫色をした早朝の道を、黄色いライトを点けた新聞配達のオートバイが通り抜けていった。
顔見知りのその配達員は、マフラーを鼻までぐるぐる巻きにして、寒さに首をすくめながら走って
いた。津軽に吹く冬の風は、金属質でずっしりと重く、じわじわと骨の髄にまでしみてくる。
風邪ひくなよ。路面が凍ってるから、コケるなよ。
哲夫は胸中でつぶやいて、それからおもむろに店の薪ストーブにマッチで火を点けた。パチパチ
と小枝のはぜる音を聞くのはいいものだ。
振り子の柱時計が、ボーン、ボーンと六回鳴った。
それとほぼ同時に、ガラガラと居問の引き戸が開く音がした。振り返ると、妻の明子と母のフキ
が靴を履いて店に出てくるところだった。おはよう、と挨拶をかわす。
いつものように、哲夫は食堂の上座に祀った神棚に向かって立った。その右側に明子、左側に母
が立つ。そして、三人そろって柏手を打ち、しばらく両手をあわせたまま黙疇をした。
哲夫の祈りの内容は、二十年間以上ずっと同じだ。
今日もまた、普通の一日でありますようにー。
三十二年前に長女の桃子が生まれ、その四年後に長男の陽一が誕生した。いま桃子は近くの弘前
市街で一人暮らしをしていて、陽一は遠く東京で一人奮闘している。
先代から暖簾を引き継き、この子供たちを独立させるまでには、本当に色々なことがあった。桃
子が肺炎で死にかけたり、台風で店の屋根が壊されたり、先代の父が酔っぱらって車に礫かれて死
んだり、オイルショックがあったり、妻が子宮筋腫で入院したり。
何もない平凡な一日を淡々と過こせることが、実はとれほと幸福でありがたいことであるかー。
そのことに気ついてからは、哲夫はずっと同じこ詑を神棚に祈っているのだ。
妻と母が、毎朝なにを祈っているのかは訊いたことがない。しかし、なんとなくだが、分かる気
がする。きっと妻は、離れて暮らす子供たちの健康と幸せを、母はこ先祖さまにひたすら感謝をし
ているのではないだろうか。
祈りが終わると、哲夫と明子は店の掃除と仕込みをはじめた。母のフキは居間に上がり、奥の台
所で三人分の朝食を作ってくれる。これも毎朝のことだ。
先々代、つまり初代が店を始めたときから、大森食堂の代表的なメニューは津軽蕎麦だった。出
汁をひくのは代々妻の役割で、蕎麦を打つのは夫の仕事になっていた。伝統の味には、徹底的にこ
だわり抜いてきた。初代の言葉をそのまま借りるならば、食へてくれたお客さんが優しい気持ちに
なれる味ーそれを守ることだけに傾注し続けてきた。そのおかげで、現在もなんとか営業を続け
られている。
こ代目にあたる親父は、とうしようもないほとに遊蕩をしつくした人だった。昼間から酔っぱら
ってお得意さんと大喧嘩をしたり、金もないのに妾を抱えたり、博打に負けて巨額の借金を作って
きたりして、幼い哲夫から見てもほとほと困った人だった。
そのせいで、哲夫は小学生の頃から店の手伝いをさせられた。六歳ですでに稼き手の一人に数え
られていたのだ。放課後も休日もなく食堂で働かされたから、クラスメイトと遊ぶこともままなら
ず、いつしか学業もおろそかになってしまった。そのうえ金銭的な理由で高校に進学することもで
きなかった。
母と、二人の姉と哲夫は、「明日も生きるため」に毎日ひたむきになって食堂を営んでいたのだ
った。
そんな家族の傍らで、昼間から一升瓶に吸い付いている親父を横目で見ていると、哲夫は恨むと
いうよりむしろ情けなく思い、そして、タメな親父に文句ひとつ言わずに働いている母を哀れに思
っていた。
しかし、タメ親父にも、たったひとつだけ尊敬できる場面はあった。毎朝、母のひいた出汁を、
目を閉じて味見するときだけは、厳然として凛々しい横顔をしていたのだ。
先代の味だけは、死んでも守るー。


(本文P. 6〜9より引用)


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