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前略
お父さん、お母さん、お元気ですか。
私は元気です。
東京は空気が悪いと聞いていましたが、武蔵野辺りだと少しはマシみたい。
寮生活にも慣れました。
念願の図書館に採用されて、私は今
毎日軍事訓練に励んでいます。
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「腕下げんな、笠原ッ!」
名指しで飛んだ罵声に、笠原郁は小銃を保持した腕を懸命に引き上げた。
陸自払い下げの六十四式小銃は重量四・四s、二十二歳女子が抱えて走るにはなかなか厳しい
ウェイトだ。払い下げ元の陸自ではもうほとんど使われていないような旧型で、新隊貝の訓練の
ためだけに保存されているような銃だ。弾の供給も完全に止まっている。もっと軽くて取り回し
やすい八十九式小銃も採用されているが、それを使うのは一部の熟練隊員で、新隊員が仕込まれ
るのはもっぱら拳銃と短機関銃である。
男性隊員の先行集団に追いすがる態でハイポート(小銃を抱えた持久走)を終えた郁はゴール
を切るや転げるように地面に倒れ込んだ。五十人中十二位、男子を混ぜてもそこそこの順位だし
女子の中ではぶっちぎりのトップだが、
「誰が倒れていいっつった、腕立て!」
くつそう鬼教官め!今に見てろ!腹の中で毒づきながら、表向きは逆らわずに郁は罰則の
腕立て十回をやっつけた。その様子を見ていた他の女性隊員はゴールしても倒れ込まず、隊列を
作って座っている男子の後ろに回ってから休む。
腕立てを終わらせた郁が列に着くと、先に座っていた女子が肩をすくめて小さく片手で拝む。
ずっるー、とは思うがこれもやむなし。
全員のハイポートが終わると昼の休憩だ。グラウンドに正午のサイレンが鳴り響いた。
「ああ──もうつっかれたあー!」
春先の基地食堂、昼は概ね新図書隊貝の悲鳴や泣き言で溢れる。夜は訓練疲れでもう騒ぐ気力
も残っていない。
晩なら図書館業務を終えて基地へ戻った図書館員も利用者に混じるが、昼間はほとんど防衛員
や後方支援員、そして春先のこの時期においては新隊員の貸し切りである。
「ちょっとあのクソ教官、あたしのこと目の敵にしてなあいー!?」
言いつつ郁は日替わり定食のチキンソテーにフォークを突き立てた。
「クソ教官て……堂上教官のこと?」
「そぉよ!」
堂上篤二等図書正。先ほど郁に腕立てを命じた「鬼教官」である。
関東圏の新図書隊員の練成教育を引き受ける関東図書基地は、今年三百名の新隊員を迎えた。
図書館貝として配属される者でも戦闘訓練は免れないので、五十名ずつ六班で編成された教育隊
の全員が一律しごかれている。
武蔵境に建設された関東図書基地は、訓練施設としてはちょっとした自衛隊駐屯地並みの規模
を誇り、訓練内容も毎年脱落者を数十人出す程度にはハードだ。
「あたしだけ!あたしだけよこんな腕立て食らってんの!他の女子がへばっててもあたしと
同じ仕打ちしたことないわよアイッ!ハイポート男子と混ざって十二位で一体ナニ文句がある
ってのよ!そんだけ結果出したんだからコケても少しは大目に見たらどうなの!?…しかもコケ
たのゴールの後じゃないよっ!」
「えー、でもそれはそんだけ期待されてるってことじゃないの?」
そう言ったのは郁と寮で同室の柴崎麻子だ。練成教育後は図書館員として武蔵野第一図書館に
配属されることが決まっている。武蔵野第一図書館は、関東図書基地に隣接する基地付属図書館
てもある
郁は防衛員としてやはり武蔵野第一図書館に配属だ。関東図書基地は東京都配属の図書隊員の
独身寮の機能も兼ねているので、別の図書館でも配属が都内であればそのまま基地暮らしとなる。
他県では主要な図書館に併設する形で基地に準ずる施設をいくつか作っている。
「それにあたし結構あの人スキかも。ちょっとかっこよくない?」
「あ、そうね顔はね」
柴崎に周囲の女子も何人か追随した。「えー、でもちょっと恐くない?」「あたしイマイチ」と
反対意見もほぼ同数か。郁はと言えばもちろん反対最右翼である。
「柴崎アンタ目ー腐ってんじゃないの!? 何よあんなチビ!」
「そうそう、惜しむらくは背がちょっと低いのよね」
他の女子は同調したが、柴崎は頷かない。
「あたしよりは高いしねー」
そう言う柴崎の身長は一五七p、大抵の男よりは小さいカノジョになれる女だ。対して郁はと
言えば一七〇p。男の中に混ぜても低いほうには入らない。問題の堂上は目算で一六五pあるか
ないかというところである。
「でも、笠原は背で選り好みしてたらオトコ作るハードルますます高くなるよ。いくら日本人が
体格良くなったって言っても、一七〇p女子に見劣りしないオトコってまだ少ないんだし」
「ますます言うな!どうせあたしは大女だわよ、悪かったわねっ」
コンプレックスを遠慮なしに突かれて郁は僻んだ。
「背で選り好みできないとしても少なくとも奴だけは論外よ、性格悪いし!」
「……お前らの俺に対する評価はよく分かった」
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