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 告白
著者
町田康 /著
出版社
中央公論新社
定価
税込価格 1995円
第一刷発行
2005/03
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ISBN 4-12-003621-9
 
人はなぜ人を殺すのか。河内音頭のスタンダードナンバー“河内十人斬り”をモチーフに、町田康が永遠のテーマに迫る渾身の長編小説。
 
告白 町田康 /著

本の要約

人はなぜ人を殺すのか――河内音頭のスタンダードナンバーで実際に起きた大量殺人事件<河内十人斬り>をモチーフに、永遠のテーマに迫る渾身の長編小説。殺人者の声なき声を聴け!



オススメな本 内容抜粋

安政四年、河内国石川郡赤阪村字水分の百姓城戸平次の長男として出生した熊太郎は気弱で鈍くさい子供であったが長ずるにつれて手のつけられぬ乱暴者となり、明治二十年、三十歳を過ぎる頃には、飲酒、賭博、婦女に身を持ち崩す、完全な無頼者と成り果てていた。
父母の寵愛を一心に享けて育ちながらなんでそんなことになってしまったのか。
あかんではないか。
といってでも、一概にあかんともいえぬのは熊太郎がそうして情け無い人間になってしまった
のには、熊太郎の生みの母、高が熊太郎三歳の折に病没、平次が後添を迎えたことが関係しているかも知れぬからである。
後添の豊が継子いじめをした訳ではない。
豊は産みの母でないからこそよりいっそう熊太郎を大事に育てたし、平次も幼くして母と別れた熊太郎を不憫に思い、これを慈しんだ。
人間というものは不可思議なもので大事に慈しんで育ててればよいかというと必ずしもそうではなく、「かしこいな。かしこいな」とちやほやすると、あほのくせに自分はかしこいと思い込む自信満々のあほとなって世間に迷惑を及ぼす。
ところが、「あほぼけかす」「ひょっと」「へげたれ」などと罵倒されて育つと、おのれの身の程を弁えるのと、なにくそ、と思う気持ちがちょうどよい具合にブレンドされて世間の役に立つ 人間になる。
熊太郎は、ことあるごとに、「かしこいな」と言われ、ちょっと紙にいたずら書きをしただけで、「字の稽古をしてえらいな」とほめそやされる、茶碗を割ると、「活発な」と褒められるなどして成長したので、十やそこらでとてつもなく生意気な餓鬼に成り果てていた。
しかし熊太郎は頭のよい子供であった。
熊太郎はいつしか、父母はああしてほめそやすが、実は自分はそんなに偉くも賢くもないのではないか、と思うようになっていた。
家にいればこそ父母はほめそやし、隣近所の人もやさしいがちょっと家から離れると、大人は鬼のような形相で、「このド餓鬼がっ」と熊太郎を罵倒した。
なぜ罵倒したかというと例えば熊太郎が庭になった枇杷をとって食らうなどしたからであるが、近所で枇杷をとって食らっても少しも叱られず、逆に「枇杷食てんのか。えらいのお」とほめそやされた。
ちやほやされた。
熊太郎は、この落差が不思議でならなかったのである。
熊太郎が自分はそんなえらくも賢くもないのかも知れないということを明確に意識したのは慶応三年、徳川十五代将軍一橋慶喜公が朝廷に大政をお還し奉り、熊太郎が独楽回しを独習した頃である。
熊太郎は大得意であった。
緊密に巻きつけた緒がほれぼれするほど美しく、熊太郎はうっとりとこれを眺めて飽きない。
私はなんて上手に緒を巻きつけたのだろう。
うっとり。
なんていつまでうっとりしとんのんじゃド阿呆。
それでは独楽が回らない。
やがて熊太郎は、しゅっ、鮮やかな手つきで独楽を中空に放つ。
独楽は回転しつつ着地し、小気味よく回りつづける。
熊太郎が独楽の回るその様を眺めていると周囲の大人が、「上手やないけ」「上手やわ」と褒めそやし、一部の女は、「粋やわ」とまで言い、熊太郎は大得意の体で、俺はなんて上手なんやろ、と鼻をおごめかせるのであった。
俺ほど独楽のうまい者はない。
大得意の熊太郎はどこに行くのにも独楽を携行し、ところ構わず独楽を回した。
そんな熊太郎が、もわもわするような春のある日、池の畔を歩いていると近所の、駒太郎、市吉、鹿造みたいなド餓鬼が七、八人集まってわあわあしているから、なにをしているのだろう、と様子をうかがうと、くはは、独楽をしている。
「独楽やったらまかさんかい」
熊太郎は彼らに近づいていき、自分も参加させてくれ、という意味のことを言った。駒太郎は、
「ええよ」と言って参加を許してくれ、「くほほ」熊太郎は薄く笑って、いつも通り独楽に緊密に緒を巻きつけるとうっとりこれを見つめたるのち、しゅっ。
独楽を空中に放った。
地面に着地した独楽は小気味よく回っている。
熊太郎は、「くほほ。小気味よい。幽趣よろこぶべし」と悦に入り、周囲のド餓鬼の賞賛の言葉を待った。
ところが周囲のド餓鬼はいつまで経っても熊太郎を賞讃せず、それどころか独楽を回して傲然としている熊太郎を奇妙なものを見るような目でみつめて沈黙し、ちっとも賞讃しない。
なぜ賞讃せえへんねやろ。
訝る熊太郎に駒太郎は言った。
「熊やん、なにしてんね」
「なにしてんねて独楽まわしてんね」
「ひとりで独楽まわしてどないすんね」
「ほなふたりでまわすんけ」
「ちゃうが。わいら独楽鬼してにゃんけ」
「独楽鬼てなんや」
「熊やん、独楽鬼知らんのんか」
と言って駒太郎は目を剥いた。
独楽鬼とは独楽鬼ごっこほどの意味であり、ルールは通常の鬼ごっこと同じであるが、ただ一
点の制約がある。いかなる制約かというと、鬼もその他の者も掌の上で独楽を回し、その独楽
が回っているとき以外、移動できぬという制約である。
逃げる者もそれを追う鬼も掌の上で独楽を回し、バランスをとりながら走らねばならず、独楽が停まったり、落ちたりした場合はただちに立ち止まって再度、掌の上で独楽を回さなければならぬのである。
駒太郎は熊太郎にルールを説明、「後からきた熊やんが鬼や」と言い放つやいなや、素早く緒を巻きつけ、しゅっ、鮮やかな手つきで独楽を中空に放るとこれを掌で受けた。
独楽は掌のうえで小気味よく回っている。
駒太郎はこれを地面に落とさないように保持しつつ、しゅらしゅらっ、と池の向こうの雑木林の方へ駆けだした。
これを見た他の、市吉、鹿造、番太、三之助みたいな者まで、しゅっ、鮮やかな手つきで独楽を中空に放り、なんなく掌で受けると、しゅらしゅらっ、と四方へ駆けだした。
今度は熊太郎が目を剥いた。
熊太郎は中空に放った独楽を掌で受けるなんてなことをこれまで一度もしたことがなかったからである。
鮮やかな真似しょんなあ。
熊太郎は舌を巻き、自分にあんなことができるのだろうか、と暗くなったが直きに、なんということはない。
親や近所のおばはんに上手や上手や、しまいには、粋やわとまで言われた俺なこと。
やったことはないけど、あんな鹿造のような者にできることができないはずがない、と考え直し、いつも通り、緊密に緒を巻くと、うっとりしないで、しゅっ、いつもよりやや高めに独楽を放ると同時に、駒太郎や他のド餓鬼のしたように、掌を独楽の方へと差しだした。
ところが独楽はいつもと違う見当で放ったのが災いしたのか、あさっての方角にぶっ飛んでいき、回りもしないで地面に転がって、熊太郎は掌を前に突きだした不細工な屁っ放り腰で、あわわ、となって恥辱にまみれた。
熊太郎は、あらぬ方角に飛んでいってここにない独楽を追って屁っ放り腰であわあわしてる自分はなんと惨めなのだろう、と思った。
顔面が、かっ、と熱くなった。、
独楽を回して掌で受けられない熊太郎はしかし、駒太郎なら兎も角も、あんな鹿造、番太みたいなやつらにできたことが俺にできないということはなく、つまりできなかったのはたまたまなのではないか、とも思った。
熊太郎は再び緒を巻き、しゅつ、目の高さに独楽を放った。
同じことであった。
独楽はあらぬ方向に飛んでいき、熊太郎はまたぞろ掌を前方に突きだして、あわわ、不細工な恰好をして恥辱にまみれた。
なぜだ。
なぜできないのだ。
熊太郎は、わっ、と泣きだしたくなるのを堪えながら独楽を拾いに行った。

 

(本文P. 3〜7より引用)



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