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 愚か者死すべし
著者
原 ォ /著
出版社
早川書房
定価
税込価格 1680円
第一刷発行
2004/11
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ISBN4-15-208606-8
 
本書は沢崎シリーズの、第二期のスタートを告げる作品。大晦日、新宿署地下駐車場に轟いた二発の銃声とともに、沢崎の新たな活躍が始まる。
 

本の要約
「伝説の男」が帰ってきた!
新・沢崎シリーズ第一弾。

大晦日に沢崎が巻き込まれた新宿署駐車場での狙撃事件は思いがけぬ方向へ発展する。ファン待望の長編第4作、ついに刊行。



オススメな本 内容抜粋


その年最後に、私が〈渡辺探偵事務所〉のドアを開けたとき、どこかに挟んであった二つ折りの薄茶色のメモ用紙が、鱗を動かすのも面倒くさくなった厭世主義の蛾のように落ちてきた。およそ十四時間後には、ドアの色あせたペンキの看板を塗りなおそうと思いたってから、七度目の新しい年がくる。私はメモ用紙を拾って、四日ぶりに事務所の中に入った。
ガンの偽特効薬を売りつける悪質な詐欺グループを探りだすために、ある大学病院のガン病棟の入院患者になりすますのが仕事だった。
首尾よく犯人たちは逮捕されたが、そのとき私の頭をかすめたのは、彼らの釣り糸の先にぶらさがっていた法外な値段の擬似餌は、患者によってはい一ち縷の希望になっていたかもしれないということだった。
病院が人間の命にできることはあまりないが、もっとも手際がいいのはそれに値札をつけることだ。
値札がつけば、保険屋もあらわれるし、詐欺師もあらわれる。いずれ探偵もあらわれる。それだけのことだった。
午前十時をまわっていたが、ブラインドのおりた室内は薄暗かった。私はデスクの明かりをつけてメモ用紙を開いた。
メモの伝言は私宛てではなく、とうにこの世を去った死者に宛てたものだった。
上がるのか降りるのかわからない季節はずれの亡霊のような足音が、ビルの階段のどこかで響いているような気がした。
私は病院から持ちかえったバッグの一つをロッカーに入れると、寝不足で抵抗力のなさそうな自分をやおら説得にかかった。
死者宛ての伝言など屑カゴにほうりこんで、さっさと事務所を引きあげてしまえ。
まだ午前中ではあるが、仕事もなんとか片づいた十二月三十一日の寒空に、自分宛てでもない伝言に頭を悩ませる必要がどこにある。
それでなくともこの死者は、死ぬまえも、死ぬとぎも、そして死んでからも、さんざん私に迷惑をかけたのだ。いや、死者を鞭打つのはやめておこう。
説得は容易に成功しそうだったが、やや遅きに失した。
「あなたは……十代のころの父に、暴力団に入れとすすめられるような年齢には見えないわ」
開いたままの事務所のドアの脇に、若い女が立っていた。
デスクの明かりで、黒に近いくらい濃い赤のハーフ・コートとジーンズと黒いシューズが見えたが、上半身は暗がりの中だった。
若い女だと思ったのは、声や服装からの推量にすぎなかった。
「きみは誰だ」と、私は訊いた。
「その伝言を書いた、伊吹啓子です」彼女は屑カゴに入りそびれていたデスクの上のメモ用紙を指さして、そう言い、私の反応を待っていた。だが、私は反応しなかった。疲れているせいでもあったが、どう反応すればいいのかわからなかったのだ。
「伝言を返してほしいのか」と、私は訊いた。
探偵事務所の客にはよくあることだった。問際になって、探偵事務所などを訪れたことを後悔するのだが、その心変わりはたいていの場合は正しいものだった。
「いいえ、違います。伝言を残して、このビルを出て、しばらく歩いていたら、あなたの車が駐車場に入るのが見えたんです。それで、もしかしたら渡辺さんじゃないかと思って、急いで引き返してきたんです。でも、あなたは……」
「右手の壁に、明かりのスイッチがある」
彼女はしばらくためらっていたが、ほかにどうしようもないので、腕を伸ばして明かりのスイッチを入れた。
うしろできつく束ねている髪に縁どられた彼女の顔が浮かびあがった。
二十歳前後のようだが、化粧気がないせいか、実際の年齢よりも若く見えるのかもしれなかった。
服装からは学生のような印象を受けたが、十二月三十一日にビジネス・スーツを着こんでいる女性はあまり多いとは言えないだろう。彼女のほうでも、私がお目当ての人物ではないことを確認したようだった。
「わたしは渡辺さんに会いたいんです」
彼女は時間を確かめるように、左手の手首をあげて視線を走らせたが、そこには腕時計がなかった。
急いでいることを知らせたかったのだろう。急いでいる人間は、自分の時間だけが早く経過していくような錯覚におちいりやすかった。
「大至急、渡辺さんに会いたいんです」
「渡辺には会えない」と、私は彼女の眼を見ながら言った。「彼は七年前に死んだのです」
「え?そうなんですか……」彼女は驚くよりも、ただ肩を落として吐息をもらした。相手が期待に応えないとき、女たちが一生のうちに数えきれないほどくりかえす、おさだまりの仕草だった。直接には知らなかった人間の死など、遠くにあるビルの明かりが一つ消えたようなものだった。
「きっと、そんなことじゃないかと思った……」

(本文P. 3〜5より引用)



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