第131回芥川賞発表 高齢化時代に家族の絆を問い直す 破天荒な介護文学の誕生! 介護入門 モブ・ノリオ ▼選評▼ 古井由吉、石原慎太郎、河野多恵子、黒井千次、高樹のぶ子、宮本輝、山田詠美、池澤夏樹
第百三十一回 芥川賞受賞作
介護入門
モブ・ノリオ
青い絵の具の点々が、水を含み過ぎた絵筆の先からぽとぽと滴り落ち、白い画用紙の上で青と水の色の染みになって、みるみる拡がってゆく。 滲む色彩の速度に追いつけず、ただ何かしらの変化が起こったことは思い起こさせもする波の感触とともに、俺は取り残されてしまう。 そしてありもしない黄色の残像をそうと知りつつ、視界の隅へ隅へと追っかける…それが時折ちらりと見えてしまうものだから。 直径二、三〇センチの毬か影かと見えるのは、決まって視界の最左端か最右端ギリギリに現る湿気た霞の黄色、血にグリーンの切れた頃合を見計らってか、網膜の裏でこいつが静かに発光する。 他の誰にも悟られずに灯る黄砂の潤いを医者はただの幻覚だと嘲笑うだろうーいもしない医者に笑われる俺を想像して笑った。 バケツ代わりにしたホウル・トマトの空き缶では筆に着いた色が流れて尚も溶けず、薄膜様の青いぐにゃぐにゃが水の表面で実にゆっくり動き廻るから、つい今し方生まれたてのペットのようでいとおしい。 缶の内側が銅色に反射するのが騙層青の大理石模様を際立たせ、ぼんやり眺めているうちにさっきまで青と映っていたその色が黒くも赤くも見える気がして、ついには何色だか分からなくなってしまう。
(本文P. 386より引用)
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