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 ブラフマンの埋葬
著者
小川洋子/著
出版社
講談社
定価
税込価格 1365円
第一刷発行
2004/04
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ISBN 4-06-212342-8
 
祝 本屋大賞 「博士の愛した数式」 で本屋大賞、読売文学賞をW受賞した ・・・「こころの奥に届く 忘れられない物語」
 

本の要約

『博士の愛した数式』に続く著者最新作。夏の初め、ブラフマンが僕の元にやってきた。思い出すといまでも温かな気持ちになれる、奇跡のような楽しい毎日。



オススメな本 内容抜粋

夏のはじめのある日、ブラフマンが僕の元にやってきた。
朝日はまだ弱々しく、オリーブ林の向こうの空には沈みきらない月が残っているような時刻で、僕以外に目を覚ました者は誰もいなかった。
ブラフマンは裏庭のゴミバケツの脇に潜み、脚を縮め、勝手口の扉に鼻先をこすりつけていた。
助けを呼ぶ、というにはあまりにも控えめな合図だった。
できるだけ騒ぎを大きくしたくなかったのか、鳴きもせず、ただその黒いボタンのような鼻をひくひくさせているだけだった。
手当てが必要なのは明らかだった。
体中が小さな引っ掻き傷だらけで、所々血もにじんでいたし、肋骨が浮いて見えるほどに痩せていた。
そのうえ、まだ子供だった。
勝手口の扉には鼻水かよだれか涙か、とにかく彼の合図の跡が、染みになって残っていた。
怯えさせないよう背後から近寄り、脇に両手をあてがうと、背中を丸めて僕の腕にすっぽりおさまるくらいの小ささになった。
怯えるどころか、何の疑問も抱いていない丸まり方だった。
もうずっと以前から、あなたの腕の形はよく心得ています、とでも言いたげだった。
最初に感じ取ったのは体温だった。そのことに、僕は戸惑った。
朝露に濡れて震えている腕の中の小さなものが、こんなにも温かいなんて信じられない気持ちがした。
温もりの塊だった。
眠っている人たちを起こさないよう、僕はそっと彼を自分の部屋ヘ運んだ。
彼女ではなく、彼だということは抱き上げた瞬間に分かった。
お腹の毛の奥から、ぐりぐりしたペニスの感触が伝わってきたからだ。
まず、ベッド脇の床にバスタオルを二枚重ねて敷き、彼を横たえた。
しかしその姿勢はあまり気に入らなかったらしい。
発育の途中だからなのか、元々そういうバランスなのか、胴回りに比ベてあぎらかに短い四本の脚を懸命に突っ張り、お尻をくねらせながら腹ばいになった。
そしてこちらを見上げ、少しでも僕に近付こうとして脚をばたつかせたが、ただバスタオルがよれるばかりで、一センチも前進できなかった。
「無理しちゃ駄目だ」
僕は頭を撫でた。
「君は怪我をしているんだ」
驚いたことに彼は僕を見つめ、瞬きをし、耳をそばだてた。
首のつけねあたりに申し訳程度に付け足されたような、ぽんやりした人には見過ごされてしまいそうな目立たない耳だったが、間違いなくぴくりと反応した。
世界には言葉というものがあり、それが今自分に向けられているのだと、ちゃんと分かっていた。
僕は台所で盥一杯の湯を沸かした。
何度も指を入れて温度を確かめた。

 

 

(本文P. より引用)


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