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 幻夜
著者
東野圭吾/著
出版社
集英社
定価
本体価格 1800円+税
第一刷発行
2004/01
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ISBN 4-08-774668-2
 
あの女のすべてを知りたい。過去も目的も、真実の顔も―。名作「白夜行」から4年半。あの衝撃が、今ここに蘇る。長編エンタテインメント。
 

本の要約

1995年、西宮。父の通夜の翌朝起きた未曾有の大地震。狂騒の中、男と女は出会った。美しく冷徹なヒロインと、彼女の意のままに動く男。女の過去に疑念を持つ刑事。あの『白夜行』の衝撃が蘇る!



オススメな本 内容抜粋

第一章

薄暗い工場の中に工作機械の黒い影が並んでいる。
その様子は雅也に夜の墓場を想起させた。
もっとも、親父が入れる墓はこれほど立派なものじゃないがとも思った。黒い影たちは主を失った忠実な召使いのようにも見えた。
彼等はたしかに雅也と同じ思いで、しめやかにこの夜を迎えているのかもしれなかった。
湯飲み茶碗に入った酒を彼は口元に運んだ。
茶碗の縁がわずかに欠けていて、それが唇に当たる。
飲み干した後、ため息をついた。
横から一升瓶が出てきて、彼の空いた茶碗に酒が注がれた。
「これからいろいろと大変やろうけど、まあ気い落とさんとがんばれや」叔父の俊郎がいった。
顎を包むように生えた髭には白いものが混じっている。
顔は赤く、吐く息は熟れた柿の臭いがした。
「おっちゃんにも、何かと世話になったな」心では全く思っていないことを雅也はいった。
「いや、そんなことはええ。それより、これからどうするのかなと思てな。まああんたは腕を持ってるから仕事に困ることはないやろうけど。西宮の工場で雇てもらうことになったそうやな」
「臨時雇いや」
「臨時でもええがな。今の時代、働き口があるだけましや」俊郎は雅也の肩を軽く叩いた。
そんなふうに触られるのさえ不快だったが、愛想笑いを返しておいた。
祭壇の前ではまだ飲み会が続いていた。雅也の父である幸夫が生前親しくしていた三人組だ。
工務店主、鉄屑業者、そしてスーパー経営者という顔ぶれだった。
麻雀仲間で、よくこの家に集まってきたものだ。
景気がよかった頃には、五人で釜山あたりに出かけていった。
今日の通夜に姿を見せたのはこの三人と親戚数名だ けだ。
雅也が各方面に知らせていないのだから当然ともいえたが、仮に知らせたところで大した違いはなかっただろうと彼は想像している。
取引先の人間は無論、同業者たちだって来てくれるわけがない。
親戚にしても、下手に長届して金の無心でもされたら厄介だとばかりに、線香を上げたら早々に退散していった。
親戚で残っているのは母方の叔父の俊郎だけだが、彼がなぜ帰らないかについては雅也にも見当がついている。
工務店のおやじが日本酒の瓶を空にした。
彼等にとって最後の酒だった。
残っているのは俊郎が大事そうに抱えている一升瓶だけだ。
工務店のおやじはコップ三分の一ほどの酒をちびちびと舐めながら俊郎の酒を見ていた。
俊郎はストーブのそばに腰を落ち着かせ、するめを齧りながら一人で飲んでいる。
「ほな、そろそろ失礼しょうか」鉄屑業者が切り出した。
彼のコップはとうの昔に空になっていた。
そうやな、ぼちぼち、と他の二人も尻を浮かせた。
「雅ちゃん、そしたら、帰るわ」工務店のおやじがいった。
「今日はお忙しいところ、ありがとうございました」
雅也は立ち上がって頭を下げた。
「大したこともでけへんと思うけど、何かわしらにできることがあったらいうてや。力になるさかいな」
「そうや。おたくの大将には世話になったよってなあ」鉄屑業者が横からいう。
スーパーの商店主は黙って頷いている。
「そういうてもらえると心強いです。その時はよろしくお願いします」もう一度頭を下げた。
老いの目立ち始めた三人の男たちは頷いて応じていた。
彼等が帰ると戸締まりをし、雅也は部屋に戻った。
工場と繋がっている母屋には、六畳の和室と狭い台所、そして二階に二間続きの和室があるだけだ。
三年前に母の禎子が病死するまでは、雅也は自分の個室を確保できなかった。
祭壇の置かれた和室では、俊郎がまだ酒を飲んでいた。
するめがなくなったらしく、工務店主らが残していったピーナッツに手を伸ばしている。
雅也が散らかったものを片づけ始めると、俊郎は呂律の怪しい口調でいった。
「調子のええことぬかしとったな」
「えっ?」
「前田のおやじらや。できることがあったらいうてくれ、力になる、とはなあ。ようあんな心にもないこといえるで」
「単なる社交辞令やろ。あのおっちゃんらもそれぞれに火の車や」
「いやそうでもないで。前田なんか、細かい仕事で結構小金を稼いでるはずや。幸夫さんを助ける程度のことはできたと思うけどな」
「おやじも、あの人らには頼みとうなかったんやろ」
雅也がいうと俊郎はふんと鼻を鳴らし、口元を歪めた。
「そんなことあるかい。雅ちゃんは何も聞いてへんね
んな」
俊郎の言葉に、雅也は皿を重ねていた手を止めた。
「ダライ盤の支払いで不渡り出しそうになった時、幸夫さんは真っ先にあの三人に相談しよと思たんや。
ところが連中はどこから嗅ぎつけたか、揃って居留守や。
あの時、誰かがたとえ百万でも出してくれとったら、えらい違うてたで」
「おっちゃん、その話は誰から?」
「おたくの親父さんからや。景気のええ時はええ顔して近づいてきた連中も、ちょっと左前になったらころ
っと態度を変えよるいうて怒ってたで」
雅也は頷き、片づけを再開した。初耳だったが、意外な話でもなかった。彼は元々あの三人組を信用していなかった。
死んだ母も嫌っていた。母の口癖は、「相手変われど主変わらずで、うちのお父ちゃんばっかり金を使わされてる」というものだった。
「なんか、腹減ってきたな」俊郎が眩いた。一升瓶の酒はとうとうなくなったようだ。ピーナッツの入った皿も空になったので、雅也はそれも盆に載せた。
「なあ、何か食うもんないか」
「饅頭やったらあるけど」
「饅頭かあ」
顔をしかめる俊郎を後目に、雅也は汚れた食器を載せた盆を台所に運んだ。それらを流し台に置いていくと、すぐにいっぱいになった。
「ところで雅ちゃん」後ろで声がした。

(本文P. 3〜5より引用)


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