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 看守眼
著者
横山秀夫/著
出版社
新潮社
定価
本体価格 1700円+税
第一刷発行
2004/01
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ISBN 4-10-465401-9
 
刑事にわからなくても、おれにはわかるんだよ――29年の看守人生が見破った「死体なき殺人事件」の真相。表題作他、一瞬の人生を切り取った渾身の短編集。
 

本の要約

いつか刑事になる日を夢見ながら、二十九年間、留置管理係として過ごした近藤。まもなく定年を迎える彼は、殺人容疑をかけられながら釈放された男を、ひとり執拗に追う。「死体なき殺人事件」の真相を見抜いたのは、〈看守の勘〉だった。表題作他、短篇の名手の本領発揮、渾身の小説集!


横山秀夫 (よこやま・ひでお)

1957年東京生まれ。国際商科大学卒業。上毛新聞社を経て、フリーライターに。1991年『ルパンの消息』が第9回サントリーミステリー大賞佳作となり、1998年『陰の季節』で第5回松本清張賞を受賞して作家デビュー。2002年には『半落ち』が「このミステリーがすごい!」と「週刊文春ミステリーベスト10」の第1位となる。主な著書に『第三の時効』『顔』『クライマーズ・ハイ』など。



オススメな本 内容抜粋

寒い。
底冷えがする。
山名悦子は椅子から腰を浮かせ、膝掛けを広げて下半身をくるむように巻き付けた。
暖冬予想の撤回を迫られるような冷え込みになる。
庁内の暖房を切られてみて、朝方耳にした気象予報士の持って回った解説に合点が行った。
雪はやめてよね。
帰れなくなっちゃう。
R県警本部庁舎の三階は、警務部門の各課が並ぶ。
教養課の室内は静まり返っていた。
今日も残業します。ほとんど泣き顔で宣言した悦子を置き去りにして、課員はみな浮いた足どりで新年会の会場へと向かった。
恨みがましい思いを引きずりながら、しかし、実際のところ、宴席ではしゃぐ気持ちのゆとりも時間的余裕も悦子にはなかった。
デスクの上は原稿とゲラの山だ。悦子が編集を担当する県警の機関誌『R警人二月号』の進行が捗々しくない。
手元のスタンドの笠には、加藤印刷の社長が張り付けていった赤字のメモがある。
「一月二十五日校了。二十六日印刷。二月一日発行」。
絶望的な気分になる。
この一年、ベテラン上司の下で編集の手伝いをしてきたが、その上司が定年退職前の長期休暇に入ってしまったいま、悦子は、B5判六十四頁の完成品を各課に届けて歩く自分の姿を想像できずにいた。

─簡単なのからやっつけよう。

マジックで「赤」と大書されたビジネス封筒を棚から取り出し、中身をデスクの上にぶちまけた。
赤ん坊のスナップ写真が二十も三十も重なり合う。
親馬鹿ぶりを自慢し合う『わが家のスター!』は人気のコーナーだ。
一枚ずつ写真の裏を見て、そこに書き込まれたプロフィールを用紙に書き写していく。
赤ん坊の名前。生年月日。
名前のいわれ。
両親の名と所属部署……。
七枚目で舌打ちが出た。
記載漏れだ。
S署交通課の巡査長だった。
妻の名がない。
一誰に産ませたわけ?
悦子は尖った目で壁の時計を見た。
七時を回っている。
この巡査長は既に帰宅してしまったろう。
面倒なことになった。
自宅に問い合わせをしようにも、R県警には職員全体を網羅する
住所録の類が存在しない。
以前はあって、毎年更新していたというが、部外への流出を恐れて取り止めたのだと入庁時に聞かされた。
無論それぞれの所轄署では署内用の名簿が作成されているわけだから、S署の当直に巡査長の連絡先を尋ねればいいのだが、どうにもその勇気が涌いてこない。
婦警とは違うのだ。
本部で働く若い女性事務職員の名前など一線の署員は知りはしない。
たとえ警察電話を使って問い合わせを行っても、逆に当直員の質問責めに遇うのがおちなのだ。
おたく誰?ホントに教養課の人?巡査長とはどういう関係?
悦子は赤ん坊の写真を掻き集めて封筒に戻し、代わりに、夕方印刷所から上がってきた初校のゲラをデスクに広げた。
『年頭視閲式に思う』『駐在所だより』『十年表彰を受けて』。
次々と目を通し、本文と見出しをチェックしていく。
幸いにも大きな直しはなかった。
気を良くして生原稿の入った棚に手を伸ばした。
『うまい店やすい店』。
職員が行きつけの店を紹介するコーナーだが、こうもそば屋が多いのはなぜだろう。
『ザ・事件─こいつがホシだ!』。
手柄をたてた刑事や鑑識課員がドキュメント風に執筆する硬派記事だ。
今月は強盗犯人逮捕の顛末……。
いつもは楽しみながら目を通すのだが、今夜は斜め読みに近い。
無難な見出しをつけ、割付用紙に写真位置を書き込み、印刷所行きの封筒に押し込むと、悦子は席を立った。
手がかじかんでいた。ロッカーから小型の電気ストーブを引っ張りだす。
─さて、問題はこいつだ。
悦子は「退」と書かれた分厚い封筒を引き寄せた。
この春定年退職する警察官と事務職員の回想手記を顔写真付きで掲載し、長年の労をねぎらう。
今年は四十七人。
毎年そうだが、この“御苦労様特集”が二月号の柱だ。
まずは下準備に取り掛かる。退職予定者が寄越した原稿と、警務課から借り受けた顔写真をクリップで組ませていく。
始めてすぐ手が止まった。
「教養課主幹・久保田安江」。悦子の前任者である。
写真映りがいい。
いや、表情がいいのだ。
悦子は鼻から息を吐いた。こんな穏やかで優しげな安江の表情、ついぞ見たことがなかった。
手記に目を走らせた。二十年に及んだ編集の苦労話。取材の思い出。
『R警人』への愛着…。
独身を貫いた安江は「仕事が恋人」が口癖だった。
その大切な恋人を他人に譲りたくないという思いが心のどこかにあったのだろう、悦子に対してはどことなく冷淡で、だから、

(本文P. 7〜9より引用)


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