「いつでも百万馬力で
みるみる力がみなぎる
だからねさみしくないんだ
僕等はアトムの子供さ」
(山下達郎『ARTISAN』より「アトムの子」)
リビングのCDプレイヤーが何十回も同じ曲を繰り返していた。
もう十年も前から、私は苦しいことが起こるたびにこの曲を聴いてきた。
両親が結婚をなかなか許してくれなかったとき。
仕事で大きなミスを犯したとき。
高田が参院選に出馬すると言い出したとき。
お金がなくなって車を売ったとき。
人に騙されたとき。
長年続いていた番組を卒業という名目でクビになったとき。
病気になったとき。
お腹の子供を産むことができないと思い知らされたとき……。
悲しいことはいろいろあった。
数えれば数えるほど、たくさんあったような気がしてくる。
けれど、それらを乗り越えたつもりになって、はしゃいで、張り切って、甘い夢を描いていたさっきまでの自分こそが、一番バカで滑稽で悲しかった。
神様はいない。
いや、いるのかもしれない。
きちんといて、そのうえで、私を許してはくださらないのかもしれない。
私はあまりにも図々しいのだろうか。
それとも、不幸な人間なのだろうか。
リピートボタンを押し続ける。
足りない。
まだ足りない。
どうしても足りない。
力がみなぎる自分など少しも想像できないのだ。
「みんなで力を合わせて
素敵な未来にしようよ
どんなに大人になっても
僕等はアトムの子供さ」
待ち望んでいた未来は、今回も訪れてはくれなかった。
一月十五日の国際電話
二〇〇三年一月十五日。
その日の高田家は、朝早くからヒリヒリするような緊張感に包まれていた。
元旦に採卵し、四日に胚移植した二つの受精卵がサンドラの子宮に着床してくれているかどうか。
その結果が日本時間の午前七時には、アメリカから国際電話で知らされることになっていたのだ。
前年八月に行った一度目の代理出産(代理母出産)へのチャレンジでは、採取できた卵子は一つ。
一縷の望みをかけて顕微授精をするも受精せず。
子宮を全摘してから実際にチャレンジに踏み切るまで、心と身体の準備に二十カ月を要したにもかかわらず、採卵の二日後には厳しい現実を叩きつけられた。
誰よりもサンドラ本人の暖かい励ましのおかげで実現した二度目の挑戦の結果が、いよいよ出よとしているのだ。
十日前、私たち夫婦を快く胚移植に立ち会わせてくれたサンドラは今頃、行きつけの産婦人科クリニックで血液検査を受けているはずだ。
検査結果は現地コーディネイターの笹島氏を通して、早朝の我が家へ届くことになっている。
ドキュメンタリーを撮影するためのスタッフや、高田道場関係の人間など、リビングには七、ハ人分の吐息が充満していた。
「ノブさん、あの、星のような二つのタマゴ。きれいだったよね」
「なあ、六時くらいに電話しても大丈夫でしょうかって、笹島さん、最後に念を押してたよな。どうせ眠れないんだから、どんなに早い時間でもOKですよって、ムカイ、答えてただろ」
「家の電話でいいの?携帯は?一応、全部持ってきておこうか」
「……きれいだったな。受精卵って、キラキラ光ってるんだな」
沈黙と酸欠を紛らわすための会話は、なかなか噛み合わない。
六時から待機していたが、七時を過ぎても、ハ時になっても電話は鳴らなかった。
私はおまじないのように、胚移植の日の、診察室でのエコー(超音波)映像を、繰り返し思い出していた。
サンドラのお腹の中へ入っていく細いガラスのような管。
その中を滑るように進む二つの星。卵分割を始めた受精卵は、エコーを当てると白く輝いて見えるのだ。サンドラの子宮はふわふわと柔らかく、二つの星を受け止めて……。
電話が鳴った。
皆が振り返って息を殺す中、受話器を持ち上げた。
「はい!高田です」
「あ、遅くなりました。笹島です」
「……はい」
「今回の結果ですが、残念ながら、着床はしていませんでした」
「…」
「血液検査の結果、妊娠はしていないと」
「……あの、……あの、サンドラはどうしていますか?」
「え、サンドラ?少し出血のようなものがあるそうですが、身体は大丈夫らしいです」
「サンドラに……、サンドラは……、もう彼女を……」
「今日はまず、ゆっくり休んでください。また東京のオフィスからも改めて連絡を入れさせますから」
しばらくの間、私の心からは何の感情も湧いてこなかった。
|