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 いじん幽霊 完四郎広目手控
著者
高橋克彦/著
出版社
集英社
定価
本体価格 1700円+税
第一刷発行
2003/12
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ISBN 4-08-774680-1
 
「これからは横浜の時代だ」時は幕末。攘夷と開国で揺れる国の先行きを見極めるため、横浜にやって来た藤由、完四郎、魯文のもとに事件の影が…。
 

本の要約

一言口上
時は幕末。開国と攘夷に揺れるこの国の先行き案じた完四郎。赴きまましたは万国の人間が集まる港町・横浜であります。活気あふれる横浜で、広目屋稼業に精を出す完四郎、由蔵、仮名垣魯文のおなじみ三人衆のもと舞い込んだのは、居留地の幽霊屋敷騒動。この噂、どらやら噂がありそうで…。行く守を阻む、異人絡みの怪事件を解決に導く鮮やかな一手!完四郎のあっばれな名推理、心ゆくまでお楽しみ下さい。



オススメな本 内容抜粋


〈こんな暮らしを、いってえいつまで〉
続けなければならないのか、と仮名垣魯文は開け放たれた窓から差し込む朝日の輝きを、瞑った瞼の裏に感じつつ内心で吐息した。
今は元治元(一八六四)年二月も末。自分ではまだまだと思っているが、三十六という歳は世間で言うなら立派な大黒柱たるべき位置付けだ。
なのにこちらは相変わらず戯作で一家を構えることもできず、人の銭で遊女屋に揚がり、口にしたくもないべんちゃらを並べては毎日をいい加減に生きている。
〈女が悪かった……〉
鬱憤を晴らしたくて、縁がある横浜の案内を引き受けたのに、夜の相手にあてがわれた女は一年半前に死んだ女房のおよしにそっくりな顔立ちをしていたのである。
恐らく遊びに同行した同業の山々亭有人辺りが仕込んだ趣向だろう。
喜ぶと思ってのことか、あるいは死んだ女房など忘れて千住の遊郭の女に入れ上げていることへの嫌味か、いずれにしろ断わっては野暮と 心得て一つ布団に寝たものの、顔ばかりかよがり声までおよしそのままだったのだ。
あれでは霊を抱いているのと変わらない。
そこそこにして背中を向けると、今度は女がしくしくと泣きだした。
死んだ女房に生き写しだと口にしたことが女の気を緩めたに違いない。それから夜明け近くまで女の悲惨な身の上話に付き合わされ、お陰でこっちまで心細くなってきた。
このままうだつが上がらずに五十を過ぎれば間違いなく師匠の花笠文京のような死に様を迎えることとなろう。
四年前、師匠の文京は食う当てを失って、幾人かの弟子の施しにすがりながら行き倒れに近い死に方をしたのだ。
半端な戯作者の末路は知れている。
〈と言って……〉
戯作以外に自分の生きる道はない。
魯文はすうっと一筋流れ落ちた涙を布団の中で拭った。
自分でも情けないが、およそ世の中にはなんの役にも立たない身である。
「起きましたかえ」
女が渋茶を入れた土瓶を手にして戻った。
「目覚めの茶とはありがてえ」
魯文は布団に半身を起こした。
「食い過ぎにござんすよ」
女は笑った。
「帳場で耳にしましたけど、ずいぶんと意地の悪い旦さんですなあ。床入り前に鰻飯を五杯も無理に食わせるなんてさ」
「ま、高野さまはそういう遊びがお好きな人。こっちは全部の面倒を見て貰っている身。世の中にゃ飯にもありつけねえやつが居る。そいつを思えばありがたい話に違いなかろう」
魯文はゆっくり茶をすすった。
鰻飯五杯くらいは軽い方だ。先月などは戯作者仲間で蕎麦の競争をさせられている。
勝ち残った者に褒美を出すと聞かされて腹が裂けるかと思うほど踏ん張った。
途中で馬鹿馬鹿しくなったが、手を抜けば次のお呼びがかからない。
皆もおなじで凄惨な争いとなった。
高野はその苦しむ様子を眺めるのが好きな人間なのだから始末に負えない。
「いけすかないお人だよ。ほどほどの付き合いにしなしゃんせ」
「それじゃこっちの暮らしが立たなくなる」
魯文は自嘲の笑いを洩らした。
そこに店の若い者が現われて来客を告げた。
はて、と魯文は首を傾げた。
ここに揚がったことはだれも知らない。
「藤由と言えば通じると」
「まさか。とっつあんだって?」
魯文は慌てて腰を上げた。

(本文P. 6〜9より引用)


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