あなたとは、もう、セックスしない。会社員の慎也は2年前から恋人と同棲しているが、彼女にセックスを拒否されED状態に陥っている。そこに現れた性の哲人とも言うべき八巻、人妻の元実、女子高生のヒカル…。慎也は自らの“性=生”を取り戻すことができるのか?セックスレス、ED、不感症…、さまざまな性の問題が蔓延する現代。男女の関係と性愛の本質を徹底的に書きつくした、新しい文学の誕生。
映画がはじまってまだ十分目くらいに、館内の最前列の座席から一人の痩せた男が立ちあがった。 男はスクリーンの前をふらふらと横切り、最初具合でも悪くしたかと見えたが、上手側の広い通路に出ると背筋を伸ばし、ゆっくりと周囲の客席を見回した。見回したあとこちらへ真っ直ぐ歩いてきて、ぼくの席の七、ハメートル前で立ちどまると、右横の列の中に滑るように入っていった。 その列には髪の長い少女が一人座っているだけだったが、男はわざわざ彼女のそばまで行き、当然のように隣の席に腰を下ろした。つまり、男の行動はいかにも奇妙だった。 席を移った理由がよくわからなかったし、他にも空いた席はたくさんあったのだ。 ぼくは男と少女が話をはじめるかどうかしばらく注目していた。 しかし、そんな気配はなかった。 映画は台湾の若手監督が撮った恋愛劇で評判も高かったが、ぼくは登場人物たちの演技の仰々しさにすぐにうんざりさせられた。 小一時間たって話が中だるみしかけた頃、ついにスクリーンから目を外し、再び男と少女の席の方を見やった。 すると、それと拍子を合わせるよう に少女の頭ががくりと椅子の背任几れにのけ反るのがわかった。 やがて頭頂部がゆるゆると沈み、不規則に振り子のように揺れだした。さらに数分後、少女が席を立った。 ひと呼吸おいて男も立ってきた。 このとき初めてぼくは男が何か痴漢行為をはたらいたらしいと気がついた。 少女がぼくの座っている最後方の列の脇を足早に通り過ぎ、つづいて男も過ぎ、二人はホールヘと出ていった。 それは見ようによっては二人して示し合わせた道行のようでもあった。他のまばらな客たちは映画に没頭しているらしく、二人の挙動を見答める者もなかった。たぶんぼく一人が妙にそわついた気分になっていた。 それから一分もたたないうちにぼくも席を立った。 二人が通った扉を開け、ホールヘ出た。 出たところで二人の後ろ姿が目に入った。男は正面の清涼飲料水の自動販売機の陰で少女の肩を抱き、耳許に何かを曝きかけていた。 他には誰もいなかった。ぼくは面食らって右手にある小さな売店の前に進み、ショーケースの中に並んだパンフレットを眺めるふりをして横目で二人を窺った。 明るい中で見ると、男はべージュのパンツに小豆色のジャケットをきちんと着こなし、髪こそ肩先まであったが、むしろ落ちついた風情だった。 体格も案外がっちりとしていた。 黒の短いスカートにダークグレーのセーターを合わせた少女は小柄で、肩に小さなデニム地のバッグをかけていた。 少しだけ覗かせた素顔の目許からは、高校二年生くらいに見えた。 二人は長い会話をおえると、ぼくの方には目もくれず、そのままもつれるように左手の通路の奥へと入っていった。 細い通路の突きあたりには、水色の扉の男子トイレがあった。 ぼくは二人がその中に消えていくのを確かめてから、売店の後ろの壁際にある長椅子にべったりと座りこんだ。 腰から下が急に力抜けしたような感じだった。 そろそろクライマックスにさしかかる頃合の映画にはもう何の未練もなかった。 ポケットから煙草を出して百円ライターで火を点けながら、ちょうど三ヵ月前の同じ土曜日にこの界隈で出会った二人の女子高生のことを思い返した。 その昼の三時頃、ぼくが中洲四丁目にあるパチンコ店から出てきて煙草をくわえていると、横合からふいに現れた少女たちに声をかけられた。 彼女たちはどうやらぼくをテレクラかツーショットダイヤルの待ち合わせ相手と取り違えたらしかった。 「電話の人!」と訊かれた一瞬、ぼくはそれを了解した。 けれど、次の瞬間には「うん」と答えていた。 これは一つのチャンスだと思ったからだ。 少女たちはどこだかわからないがたぶん私立高校の制服のスカートを極端に短くして穿き、上はそれぞれ淡い色のダッフルコートを羽織っていた。二人とも化粧気はなく長い髪も染めていず、そこそこに可愛らしかった。 話は即座にまとまった。 お兄さんは結構イケてるから一人一万五千円でいい、ということだった。 三人でその場から歩いて西中洲のファッションホテルに出かけた。 ホテルではぼくはまず冷蔵庫から缶ビールを出して飲んだ。 そのあとシャワーを浴び、裸でベッドに潜りこんだ。 少女たちは二人でキャッキャッと笑いさざめきながら浴室に入った。 やがて一人がバスタオルを巻き、もう一人がバスローブを着て出てきた。 バスタオルの方がベッドのぼくの隣にあがってきた。 バスローブの方はピンク色のリュックの中からMDウォークマンを出してトイレの中に引っこんだ。 一人ずつということらしかった。 ぼくは何も言わず、一人目のバスタオルを剥ぎ取った。
(本文P.3〜5より引用)
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