僕の首の後ろにも、他人よりもちょっと濃いめの産毛が生まれたときから生えていて、これが物心ついたころから僕の抱えた爆弾だったのだけれど、十三歳になってすぐのある晩、自分の鎖骨をこすっていて、そこにいつもとは違う感触を感じてうつむいて、首元に赤くて長くてコリコリと固い明らかな鬣の発芽を確かめたとき、それまでは祖父と父と同じように背中に負ぶっているつもりだった爆弾が、気づけば僕だけ胸の上にも置かれていたと知ってショックで、その上さらにその導火線にとうとう火が点けられたのを実感して、僕は絶望した。―福井県・西暁の中学生、獅見朋成雄から立ち上がる神話的世界。ついに王太郎がその真価を顕し始めた。ゼロ年代デビュー、「ゼロの波の新人」の第一走者が放つ、これぞ最強の純文学。
坂本竜馬の背中に馬の鼠のような毛が生えていて、それがそもそも竜馬という名前の馬の字の由来であるというのは坂本竜馬の伝記やその種の読み物からではなくて父の隆宏から聞いた話だったが、父はその話を、僕と同じように繰り返し繰り返し祖父の庄一郎から聞いたのだった。 どうして祖父がそんな話を父に繰り返したかというと、それはその祖父の背中にも、やはり鼠に似た毛が首の後ろから両肩に伸びて腰にかけて逆三角形を作るようにして生え広がっていたからだった。 背中の毛を表す単語をこれまで耳にしたことがないのでつまり背中の毛は「背中の毛」としか言えないのだろうけど、しかし祖父のそれは「背中の毛」に留まらない、「鬣」のほうが呼び名としてふさわしいほどの至極立派なものだった。 僕は一度写真で見たことがある。 恐らく坂本竜馬が背中に蓄えていたものよりもずっと立派だったはずだ。祖父のそれは馬のようにひょろひょろと長い毛が背骨の上にまっすぐ背中を区切るように並んでいるのではなくて、どちらかというと犬や狼のような短くてふさふさとした毛がみっしりと広がって延びていて、背中以外はつるりとした肌で臼く滑らかで、背中の褐色の鬣をさらに引き立てていた。 そんな立派な霞を背負った祖父は一つの戦争に行って帰って行って帰ってもう一度行ってまたケロリとした顔で帰ってきたらしいが、幾多の戦場で何十人何百人の敵兵とその他の人間を殺しておきながら自分はほとんど無傷のままだったので、そんな祖父の偉丈夫ぶりを横目に見ながら毎日銃弾をかいくぐって神経を髄よりさらに削られていた仲間の兵士達は、祖父の奇跡の源を背中の鼠に見出していたらしく、彼らはことあるごとに背中のその「ご神体」を触れさせてくれるよう祖父に頼んでそれを撫でて操んで指に絡めて握って、時には襟口から背中に手を突っ込んだまま、念仏を唱えたりもしたと言う。 祖父の鬣はいつも濡れてしなやかに固く密度も濃くてつややかだったらしいのだが、日光に当たると黄金色に光るそのあでやかなプレイリーは、祖父の後ろを鉄砲を手に走る若輩兵士達の何人かにとってのまさしく希望の地だったのだろう。 父は、祖父から戦争当時の話を聞き、祖父とともに戦地に赴いて祖父の鬣に触った兵士達から届いた手紙を読み、その手紙で祖父の鬣のめでたき効用について熱く語るその語り主達がほとんどその地で死んでいったと知って、何となく祖父のその豊かな毛の細かい隙間に、遠くの戦地で死んだ見知らぬ兵隊達の小さな魂が無数に潜んでいる気がして、祖父の背後で一人怖気を覚えたと言っていた。 祖父と一緒に風呂に入らなければならないようなとき、湯船の中で洗い場の祖父を見守る父は、祖父が自分の背中の毛の中に挟んで持ち帰った「戦争」を、ちゃんとタオルでこすって落として流してくれるように祈るような気分だったとのこと。 それに、祖父の背中に触れたお湯には祖父の背中の鬣から染み出た野蛮の脂が混じって浮かんでいるような気がして、絶対に祖父と一緒に湯船に浸かろうとせず逃げて祖父の座った椅子をお湯で繰り返し洗ったりして、まったく怪しい息子だっただろうと言って父は笑った。 祖父だけではなく、父だって、その背中の鬣の立派なことには僕も目を見張らずにはいられなかった。 毛の一本一本は、色白だが筋肉質で張りのある父の背中の上にがつしりと根を張って立ち上がって押し合うことがなくみっしりと並び、心持ち中央の背骨の方に向かい合って左右がむらりと流れていて、全国的にも有名な、田倉川上流の水中に群生するあの水草たちが、ふくらみをもって流れる躍動的な水面のすぐ下で、無言でしなだれてゆっくり揺れている様子を思わせた。そして父の鬣の、石鹸をつけて擦られて白い泡にまみれているときには柔らかく絡まってくしゃくしゃになりながらも、桶一杯のお湯をザパリと肩口からかけられただけで石鹸をすべて落としてすぐに整列し直し、途端に松の樹液に似た色を取り戻してすぐに脂ぎった面の様子を見せてシャボンの仕事などなかったかのように振る舞うその不敵な様は、毛の一本一本が一人一人の頼りがいある天邪鬼として胸をそらせているようであって、その精惇さは子供心に恐ろしいほどだった。
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