この男の中で壊れてしまいたい。究極の恋の道行きを描く恋愛長篇。高速バス事故!夫を失った心の空洞に悩む萌。娘を奪われ、創作欲が湧かない作家・遊作。突然の悲劇に結び付けられた二人は、運命に翻弄されるままに愛し合う。どこまでも堕ちていくことを願う男女の狂おしい愛の行方。
二〇〇〇年十一月二十四日 ── 運命の日
晩秋の落日は早い。 昼の間、雲ひとつなく晴れわたっていた空も、四時を過ぎる頃から輝きを失ってくる。 五時ともなれば、早くも街は暮色に染まり始め、やがて、鎌のように細い三日月がのぼって、街にはきらめく灯がともされる。 東京駅八重洲南口にあるコーヒー店は、ほぼ満席の状態で混み合っていた。 構内の通路と外に面した部分は、全面硝子張りになっていて、外を行き交う人々の群れが見渡せる。 通勤帰りの人々や旅行客が、引きも切らず通り過ぎて行く。 歩きながら携帯電話を使っている男、疲れた顔で子供の手を引き、先を急ぐ女、寒くなったというのに半袖シャツ姿で大きなリュックを背負っている白人夫婦、アタッシェケースを手に、小走りに改札口に急ぐビジネスマン……。 店内は狭く、すべてカウンター席になっている。 厨房を囲むカウンターと、硝子に面したカウンター。 従業員の若い男が三人、忙しそうに店内を動きまわっている。 誰かが会計を済ませて店を出て行くと、また次の誰かが入って来る。 ほとんどが一人客で、新幹線や特急列車、高速バスに乗車する前に、時間があるので一服しにやって来た、という様子の人間ばかりである。 長沢大輔は、硝子に面したカウンター席で、苛々しながら煙草に火をつけた。 コーヒーはとっくに飲み終えてしまった。 コップの中の水も残り少ない。目の前のアルミ製の灰皿には吸殻が四本。 その脇にはストラップをつけていない、真新しい濃紺の携帯電話が一つ。 彼は腕時計を覗いた。 店に入ってから百回くらい覗いたのではないか、と思いながら、七時三十分になっていることを確認し、軽く舌打ちをした。 大学の同級生である香織と、その店で待ち合わせたのが六時半である。 一時間ほどゆっくりコーヒーを飲み、香織が食べたいと言えばその店唯一の軽食であるチリソースのホットドッグを奢ってやり、それから日立行きの高速バスに乗る彼女を見送る予定だった。 携帯を手にし、ディスプレイを見た。 さっきからもう、何度も同じことを繰り返している。 店内がうるさいので、着信音が聞こえなかったのではないか、と思ったからだが、ディスプレイに着信表示はなく、メールも届いてはいない。 ゆうべの喧嘩の原因はくだらなかったのに、と大輔は思い、煙草をもみ消してから頭を抱えた。 さっきから何度も香織の携帯に電話をかけているのに、留守番電話になったままである。 メッセージはそのつど、残した。 どうしたのかな、とっくに待ち合わせの店にいるんだよ、連絡ください……。 念のためにメールも送っておいた。 短いメールだった。 今どこ?……それだけ。 ゆうべは悪かった、ごめん……そんなメッセージを残すべきだったのか。 あやまってくれない限り、金輪際、あんたの顔も見たくないし連絡も取りたくない、と香織は思っているに違いない。 喧嘩の原因はビデオだった。一人暮らしをしている香織の部屋に行き、一緒にビデオで映画を観る約束になっていたのだが、香織が楽しみにしていた映画の録画をするのをうっかり忘れてしまった。 あやまったのだが聞きいれてもらえず、そのうち話がこみいってきた。香織は大輔の性格を罵り、過去の喧嘩をむし返して、あの時は言わなかったけど、今は言わせてもらうからね、と不満をあれこれ並べ始めた。 虫のいどころが悪かったせいか、むかっ腹が立った。 大輔は、飲んでいたミネラルウォーターのペットボトルを壁に向かって力まかせに投げつけた。中の水が床にまき散らされた。 出てってよ、と怒鳴られた。 ああ、出て行くよ、と応じた。 まずいな、と思ったが、後には退けなかった。 好きで好きでたまらない女なのに、いつもこうなる。 勝気で自尊心が強く、手に負えない面もあるのだが、だからこそ惹かれるのである。 喧嘩をするたびに、かえって手放したくなくなって、情けないほど動揺してしまう。 つまりこれは、あいつに惚れている、ということなんだろう、と大輔は思う。 カウンター席の隣のスツールに座って、タブロイド判の夕刊紙を読んでいた男が、煙草をくわえた。
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