イリュージョン マジシャン 第2幕
著者
松岡圭祐/著
出版社
小学館
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2003/10
ISBN 4-09-386127-7
 
少年時代からマジックの技を駆使して、数々の犯罪に手を染めてきた椎橋彬。カリスマ万引きGメンとして活躍する一方で、いまも大胆な盗みを繰り返していた。彼を追い詰めるため、もうひとりの天才が立ち上がった。
 

マジック愛好家の少年・椎橋彬は母親の逮捕を機に家出、上京する。飢えとの戦いのなか、テレビのニュース番組で万引きGメンヘの密着取材を目にしたとき、椎橋は閃いた。マジックのタネを利用すれば、完全無欠の万引き犯になれるのでは。やがて、奇跡のような万引きを成功させる神出鬼没の万引き犯の存在が、小売業者たちを騒然とさせる。万引き稼業ひと筋で財をなすまでになった椎橋。防犯カメラをも欺く彼の「ショービジネス」に疑いを持ったのは、かつて天才少女・里見沙希からマジックの手ほどきを受けた、舛城捜査二課警部補だった…。少年が犯罪を引き起こす複雑な深層心理のからくりと、少年法の在り方を世に問いながら、巧妙なトリックの連続と息もつかせぬスピード感で一気に読ませる、ヒューマン・サスペンス・ノベルの感動作。

 「奇術詐欺」ともいうべき新奇な犯罪の世界を描いて好評を博した松岡圭祐氏の問題作『マジシャン』。本書はその正統たる続編で、『マジシャン』のヒロイン間宮沙希が、警視庁捜査二課の舛城徹とともに、少年時より数々の犯罪に手を染めてきたもうひとりの天才的マジックの「技」を持つ椎橋彬と、知略を尽くした対決を繰り広げる物語です。 本作品で松岡氏は、エンターテインメント小説の形を借りながらも、物語中で対決するふたりの天才マジシャンの生い立ちや境遇にまでペンを進め、『千里眼』シリーズとは異なる、人間の内奥にまで深く切り込んだ読み応えのある犯罪小説を試みています。意外な展開へと導かれるラストとともに、「松岡ワールド」に新境地を開く作品となっています。



少年法第二条によれば、
「少年」とは、
二十歳に満たない者をいう。
少年による窃盗は、約半分が万引きで、それに次ぐオートバイ盗及び自転車盗と併せ増加傾向にある。
一方、空き巣や忍び込みなどの侵入盗は減少しつつある。
本作に登場するマジックの専門用語および技術は事実に即している。
本作に描かれている数々の犯罪行為への流用あるいは転用は現実に可能である。
が、むろんのこと、本作はそれを推奨するものではない。
娯楽として立案されたトリックを悪意ある目的に利用する行為は、断じて許されるべきではない。
二〇〇三年

風の強い午後だった。
白い霧に覆われた湘南の海岸からは高波が押し寄せて、海沿いの国道に嵐のような波しぶきを浴びせ、凹凸の激しいアスファルトをしきりに洗う。
ロサンゼルスを模したとおぼしきパームツリーが大きく揺れて枝葉を揺らし、ざわめきあう。
窓をしめきって百キロ近い速度で駆けぬけていても、それらの自然が奏でる音に窓ガラスまでが振動して呼応する。
もし大自然をつかさどる神がいるのなら、どうあっても自分にこの環境を無視できないよう執拗に迫ってきているのにちがいない。
信心深ければ引き返すところかもしれないが、あいにく、四十も半ばを過ぎ実利主義と現世主義にどっぷりと浸かった自分には、本来ありがたいはずの神の啓示もまったく心に響かなくなっている。
うっとうしいから、さっさと晴れ間でもおがませてくれ。
小刻みにステアリングを切り、風のせいでオーバーステアになりがちな進路を修正しつづけながら、そう思った。
舛城徹はアクセルを踏みながら、東京を出発して何本めかになるタバコに火をつけた。
窓の外の霧がさほど気にならないのは、車内がそれ以上に曇っているせいかもしれない。漂う煙が空気を白く濁している。
エアコンの調子もよくない。窓を開けたいが、波しぶきを被るのはごめんだった。
どうせニコチンに侵食された肺だ、この空気にいまさら毒気を感じるはずもない。
さほどヘビースモーカーでもない自分がなぜあわただしくタバコをふかしつづけるのか、その理由はあえて考えてみるまでもなかった。
里見沙希という少女、あの類稀な才能を有した少女とひさしぶりに再会することになって、舛城の心拍はまるで十代の高校生のように忙しく打ち響いていた。
情けない話だ、少なくとも、妻子持ちの公務員が抱くことを許されている感情には思えない。
とはいえ、再会の目的は浮気ではない。
そもそも、ふたりの関係はそんな不純なものではない。
あの当時、沙希の年齢は十五だった。あれから二年近くが過ぎている。
十七になった沙希は、どんなふうに変わっているだろうか。
わからない。
想像がつかない。
この歳になると、十年ぶりに友人と再会することなどざらにあるが、彼らに月日を感じさせるような変化がみられることはほとんどない。
ところが沙希についてだけは、この霧のなかの景色のように判然としない。十七になった沙希。最後
に言葉を交わしたのは成田のロビーだった。あの時ドイツのドレスデンに発ってから二年、彼女の身に起きたことはほぼわかっている。だがそのあいだ、一度も顔を合わせたことはない。
どんなふうになっているだろう。
やはり、なにも思い浮かばない。
目的地がみえてきた。
国道沿いの店舗、赤い屋根に黄色い壁。全国どこででも見かけるMのマーク。
舛城はクルマを減速させた。ドライブスルーと駐車場の入り口が分かれている。
駐車場へとクルマを差し向けた。そこには、ほかにワンボックスカーと大型トラックが一台ずつ停まっているだけだった。
晩秋であるうえに、こんな天候だ。レジャーに出かけてくる物好きもいない。
運送を生業にしている連中も、いつ閉鎖されるかわからない海沿いの道を避けて、内陸を抜けていくのがふつうだ。
クルマを停めて外にでた。身をきるような寒さだった。
後部座席からコートをとって羽織る。
霧のなかでも吐息が白く染まるのがはっきりとわかる。
舛城は店に向かっていった。
息が弾む。足は自然に速まっていった。
沙希がここで働いていることは突きとめたが、詳しい勤務時間まではわからなかった。しかし舛城は、行けばたぶん会えるだろうと直感に近い思いを抱いていた。
この"M"マークのハンバーガー・チェーンは、アルバイトの出勤日程について自由度が高いことで有名だが、それはむしろ雇う側にとって利益になることが多い。
大勢の客が集まるかどうかわからないのに、複数のアルバイトを店に出勤させるという無駄を省き、働き手が足りないときだけ声をかけて人を呼び集めることができるからだ。
そして、アルバイトが誰も出勤したがらないこんな日に、義務を重んじて真面目に出向いてくるのは沙希ぐらいのものだろう、舛城はそう見当をつけていた。
沙希とは、そういう少女なのだ。どこで働いているだろう。
厨房だろうか。
迷いながら店に近づいたとき、ふいにその答えはあきらかになった。
正面入口の前に据え置かれた派手ないろの屋台で、制服姿の細っそりとした若い女が風船を手にしている。
強風に吹き飛ばされそうな風船を必死で押さえながら、女は声を張りあげていた。
バリューセット半額になっております。
いまならドナルドと仲間たちのキャラクター風船がついてます。
この手のアルバイトの声は日に日に鍛えられていくものだが、いま舛城の耳に響いてくる女の声は熟達したアルバイトの呼びかけよりもさらに深みを帯びていた。
腹の底から声がでている。
演劇の発声練習を積んだ人間、それもかなり才能のある人間にしかだせない声だ。
そしてそれは、まぎれもなく二年前に耳にしたあの声に相違なかった。
沙希は往来のまったくない店の前で、がらんとした駐車場に向かって声を張りあげている。
一寸先も霧に覆われてみえない、そんな現状では、道路を走り抜けるクルマからも沙希の姿は目にとめられないだろう。
どう声をかけるべきか戸惑っていると、扉が開いて同じく制服姿の男性が姿を現した。「沙希。ここはもういいから、裏の掃除をしてくれ」
「でも」沙希は男を振り返っていった。
「さっき、Aスイング・マネージャーさんが日没まではつづけてくれって……」
ちっ、男は舌打ちした。
「常識で考えなよ。こんな状況でやっても無駄だろ。人手が足りないんだから、裏もやりなよ」
沙希は不服そうなそぶりを一瞬垣間見せたが、すぐに軽く頭をさげていった。
「すみません、気づきませんでした。すぐかかりますので」
頼むよ。そういって、男は店内に姿を消していった。
吹き荒れる風のなかで躍る風船を屋台に結わえつけ、沙希はこちらに向かって歩いてきた。
いきなりの鉢合わせに舛城は思わず息を呑んだ。
ところが、沙希は舛城の存在には気づいても、誰であるかはわからなかったらしい。
会釈をして脇をすり抜けていった。
すれちがいざまの沙希の横顔は、以前とはずいぶん違ったものとして舛城の目に映った。
ずいぶん大人びている。
表情も疲れきったものだった。
たんに仕事中だというだけのことかもしれない。
大人っぽい印象も、黒い髪のせいかもしれない。
以前の沙希はやや明るめのカラーリングをしていたが、"M"マークの店員に茶髪やピアスの女はおよそ見当たらない。
おそらく規則が厳しいのだろう。
しかし、と舛城は思った。
それだけではない、彼女のやつれた外見には、ほかにも理由があるのだろう。
舛城は後を追っていった。
店の裏手にまわると、沙希はこちらに背を向けて、雑然と積み上げられたゴミ袋を、ビニールの色ごとに分別していた。
沙希のほうから気づいてほしいと願いながら、舛城はわざと大きめに靴の音を鳴らして近づいていった。
ところが、沙希はまるで舛城の接近を意に介していないようすだった。すぐ済みますから。

 

(本文P.3〜6 より引用)


このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。
無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.