クライマーズ・ハイ
著者
横山秀夫/著
出版社
文芸春秋
定価
本体価格 1571円+税
第一刷発行
2003/08
ISBN 4-16-322090-9
 
85年、御巣鷹山の日航機事故で運命を翻弄された地元新聞記者たちの悲喜こもごも。上司と部下、親子など人間関係を鋭く描く力作。
 

北関東新聞の古参記者、悠木和雅は、同僚の元クライマー、安西に誘われ、谷川岳に屹立する衝立岩に挑む予定だったが、出発日の夜、御巣鷹山で墜落事故が発生し、約束を果たせなくなる。一人で出発したはずの安西もまた、山とは無関係の歓楽街で倒れ、意識が戻らない。「下りるために登るんさ」という謎の言葉を残したまま―。未曾有の巨大事故。社内の確執。親子関係の苦悩…。事故の全権デスクを命じられた悠木は、二つの「魔の山」の狭間でじりじりと追い詰められていく。

なぜ彼は約束どおり谷川岳に向かわなかったのか!? 御巣鷹山の日航機墜落事故発生により、新聞記者・悠木は、同僚の安西と谷川岳衝立岩に登る予定だったが約束を果たせなくなる。一方、一人で山に向かったはずの安西は、なぜか歓楽街でクモ膜下出血で倒れ、病院でも意識は戻らぬままであった。地方新聞を直撃した未曾有の大事故の中、全権デスクとなった悠木は上司と後輩記者の間で翻弄されながら、安西が何をしていたのかを知る――。 実際に事故を取材した記者時代の体験が礎となり、濃密な数日間を描き切っています。著者の新境地とも言うべき力作!




旧式の電車はゴトソと一つ後方に揺り戻して止まった。
JR上越線の土合駅は群馬県の最北端に位置する
下り線ホームは地中深くに掘られたトンネルの中にあって、陽光を目にするには四百八十六段の階段を上がらねばならない。
それは「上がる」というより「登る」に近い負荷を足に強いるから、谷川岳の山行はもうここから始まっていると言っていい。
悠木和雅は爪先の収まりの悪さに登山靴を意識していた。
そうでなくても一気に階段を上がりきるのは難しかった。
ペンキで書かれた「300段」の手前の踊り場で、たまらず一息入れた。
十七年前と同じ思いにとらわれる。
試され、節に掛けられている。
ここで息が上がるようなら「魔の山」の領域に足を踏み入れる資格はないということだ。
十七年前は記者生活の不摂生が肩で息をさせたが、今回は五十七歳という年齢が脈拍数をさらに何割か増加させているに違いなかった。
衝立岩に登る。
胸の決意は今にも霧散してしまいそうだった。
それでも安西取一郎の輝く瞳が脳裏から消えてしまったわけではなかった。
耳も忘れてはいない。
生粋の「山屋」であった彼がぽろっと口にしたあの言葉だ。
下りるために登るんさ。
悠木は上を見つめ、階段の歩を進めた。
下りるために山に登る。
その謎めいた言葉の意味をずっと考え続けてきた。
一つの答えが胸にある。
だが、その答えを確かめる相手がもはやこの世にいなかった。
地上には初秋の淡い光が満ちていた。
午後二時を回ったところだ。
頬を撫でる風は冷たかった。
同じ群馬でも悠木が長く住んでいた高崎とは気温も空気の匂いも異なる。
赤いとんがり屋根の駅舎を後にして国道291号線を北に向かって歩く。
踏切を越え、雪除けのトソネルを抜けると視界が開ける。
右手に広がる芝地が土合霊園地だ。
地元水上町が建立した「過去碑」には、谷川岳で遭難死した七百七十九人の名が刻まれている。
「魔の山」の呼び名だけではその凄絶な歴史を説明しきれず、だから「墓標の山」「人喰い山」といった直戴的な異名を併せ持つようになった。
たかだか二千メートル級の連峰にありながら、地球上のどこを探してもこれほど死が身近な山は存在しない。
一つには上越国境特有の気象変化の激しさが遭難多発の要因に挙げられる。
しかし仮に、谷川岳が「一ノ倉沢」に代表される急峻な岩場を抱えていなかったとしたら、日本中にその名を馳せることもなかった。
未登岩壁の征服。
熾烈な初嚢争い{時・先鋭的豊山家たちは雛と名声を求めて津波のごとくこの地に押し寄せた。地下駅ができるや、彼らはあの四百八十六段の階段を全力疾走で駆け上がったという。
一分一秒を競って岩壁に取りつき、存分に肇じり、存分に墜ちた。
そして、谷川岳が危険な山であることが喧伝されればされるほど、血気盛んな若い登山家の心を高揚させ、それがまた過去碑の名を増やす結果へと繋がっていった。
衝立岩は、そんな彼らをして「不可能の代名詞」「最終課題」と言わしめ、長い年月、未登の岩壁であり続けた。
やがて、登山用具とクライミソグ技術の進歩によって十数本の登撃ルートが開拓されるに至ったが、それがために、さらなる多大な犠牲が払われたことは言うまでもない。
「ワースト・オブ・ワースト」─最悪の中の最悪。
それこそが、衝立岩に与えられた最後の異名だった。
なあなあ、悠ちゃん、ドーンと思い切って衝立岩をやろうやー。
安西に連れられて衝立岩を下見した。彼の手ほどきで訓練も積んだ。
十七年前のあの日、悠木と安西はザイルを組んで衝立岩に挑むはずだった。
だが、悠木は行けたかった。
その前夜、日航ジャソボ機が群馬県上野村山中の御巣鷹山に墜落したからだった。
一瞬にして五百二十人の命が散った。地元紙「北関東新聞」の総括デスクとして、悠木は、谷川岳ではない、
もう一つの「墓標の山」と格闘することになったのだ。
そして、一方の安西は──。
ざわめきに気づいて、悠木は視線を上げた。
谷川岳ロープウェイの土合口駅が近かった。
周辺の広場や駐車場は大勢の行楽客で賑わっていた。
土産物の屋台を横目に旧道を進むと、すぐに登山指導セソターの建物が見えてくる。腕時計に目を落とす。
待ち合わせの三時にはまだ少しばかり時間があった。
「こんにちは。どちらへ入られます?」
悠木がセソターのベソチで休んでいると、登山指導員の腕章を付けた男がにこやかに話し掛けてきた。山支度は完壁のつもりでいたが、見る人間が見れば悠木が「山屋」でないことはすぐにわかるのだろう。ザックの上にはヘルメットも覗いているから一般コースヘ向かう客ではない。

(本文P.4〜6 より引用)


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