壮大なスケールで描いた慎太郎論の決定版。月刊「現代」連載中から話題沸騰の大河ノンフィクションに大幅加筆。人物評伝の新スタイルを確立した。
三百八万票という大量票を獲得して東京都知事に再選された石原慎太郎は、選挙戦から約半月後の二〇〇三年五月に行われた共同通信の世論調査で、次の首相に最もふさわしい人物のトップに選ばれた。 現職の小泉純一郎を七パーセント以上も引き離し、民主党代表の菅直人に至っては、その人気の差は五倍以上という飛び抜けた強さをみせた。 しかし、石原新党結成への思惑含みの注目を一段と集める一方で、その臆面もないポピュリズム的政治手法や、過激なまでのナショナリズム的姿勢には、個人情報保護法案や有事法案が成立する状況とも相侯って、強い危倶の念もまた高まっている。 二期目の公約に掲げた中小企業向けの銀行の創設は、既存金融機関に対する批判の大合唱という追い風もあって大向こう受けはした。 しかし、官製の銀行は時代逆行、民業を圧迫するのではないか、ノウハウの蓄積は十分なのか、という声に代表されるように、その前途を危ぶむ意見は少なくない。 やはり二期目の公約の治安対策の強化は、暴走族掃討作戦で全国に勇名を馳せた広島県警本部長・竹花豊の副知事抜擢という全国でも初めての思い切った人事に期待する向きがあるものの、東京が強権発動が罷り通る警察都市になるのではないか、といった懸念が早くも生まれている。 また、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部(東京都千代田区)などの土地・建物について、固定資産税の減免措置を解除する方針を打ち出し、一部から喝采を浴びた。だが、水に落ちた犬は打てとばかりの狙い打ちの手口は、ちょっとあざとすぎるのではないかとの声もあがった。 彼の評価をめぐっては、再選以降、さらにかまびすしい議論がつづいている。 石原慎太郎は、嫌悪の感情にせよ、期待の感情にせよ、彼を見つめる者自身にもおそらく説明できない意識下の感情に、力強く、しかも間違いなくふれてくる男である。 それは彼の個性と言動が、国民のなかにある名状しがたい感情を確実に引き出し、彼がそれを自ら引き受ける形で生きつづけてきたからにほかならない。 ある者にとっては、それが日本を崩壊に招く危険な兆候と映り、ある者にとっては、それが日本を救う卓越したリーダーシップの表出と映る。 石原慎太郎を解剖することは、彼に向けられた人びとのまなざしを検証することと、ほぼ同義である。 昭和三十一年(一九五六)年、「太陽の季節」の華々しいデビュー以来、石原慎太郎という男は、忌避と称賛の感情が相半ばする評価を全身に浴びながら、約半世紀にわたって、ずっと出ずっぱりでやってきた。 彼以外の日本人で、第一線を張りつづけてきたのは、ほかに長嶋茂雄くらいしか思いつかない。 しかし、東京都知事のポストにあり、総理総裁の椅子をうかがう慎太郎の影響力は、日本のプロ野球人気を不動のものとし、いまなお国民的スターの座にある長嶋茂雄と比べたとき、その差は自ずから歴然とする。 慎太郎は好悪の感情を別にして、この半世紀というもの、時代の底に隠された大衆のホンネという無意識、つまりは民族的な記憶につながる優越感や劣等感をくすぐり、刺激し、そして撹拝してきた。
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