不世出の天才の妻は、どのような人生を送ったか。その作品を読み解き、1人の女の生を歴史の闇から浮かび上がらせる伝記小説。
けさ、夫ウィルが息を引き取った。 もう私は、彼の病状を気も狂わんばかりに心配したり、癇癪や不機嫌に泣かされることはない。 病をおして彼が再びこのストラトフォード・アポン・エイヴォンを離れ、ロンドンヘ行ったきりになるのではと脅えたり、町の酒場から帰らないのを、やきもきして待ったり、彼の"恋"に心乱され嫉妬に苦しむことも二度とない。 このところ、次女に対するウィルの鬱積した怒りは、爆弾を抱えているようなものだったし、いつ親戚の者や知人に腹を立てて訴訟を起こすか予想がつかなくて、私はいつもひやひやしていた。 劇作家としても詩人としても充分成功したというのに、財産やお金にひどくこだわるのも、不吉なことを招きそうで気が気でなかった。 そうした恐れが、すべてウィルとともに去った今、私は平和な気持ちで彼を神の御手にゆだね、安心していてよいはずだ。 ところが安心どころか、ひとり残された不安に心乱されて、今にも叫び声を上げてしまいそうだ。 遺体を安置した部屋に居たたまれなくて庭に出てみたが、息苦しさは増すばかり。 ただもう生身の彼が恋しい。あれほどつらい思いを昧わったのに、今となっては、すべてが「生きていたからこそ」と思われる。 この世から姿を消すということは、もう彼の髪に、頬に、唇に、手や足に触れられないことなのだ。 「アン」と呼ぶ声や、寝息や心臓の音を聴くことができないのだ。 そう思うと、あとからあとから涙があふれ出て止まらない。 ウィル……ウィリアム・シェイクスピア……私が愛した、たった一人の男。 「帰ってきて」と思わず声に出してしまい、はっとする。 まだ結婚前の遠い日、八歳という年齢差を気にする私に、ウィルは言ったものだった。 「そんなの年齢取れば取るほど気にならなくなるよ。ぼくが七十のとき、きみは七十八。ほら、二人とも、すごい老いぼれじゃないか」 メタモルフォーシス私はふき出しウィルも笑った。 それから彼は、愛読書のオヴィディウスの『変身謂」の中に出てくる老夫婦の話をしてくれた。 二人は人間に姿を変えて宿を求めた神を、それと知らずもてなし、その結果、災いを逃れ願いを叶えさせてもらう。 「その願いとは、二人同時に死ぬこと。妻の弔いを見たくないし、妻の手で埋葬されたくもないから、と夫が言ったんだ」 「それで?」 「生きているかぎり神殿の番をして、ある日、老い衰えた二人が昔話をしている間に、夫は樫の木に妻は菩提樹に変わったんだよ。若き日に結婚して、貧しくても心正しく満ち足りた心で、仲良く生きた二人にふさわしい最期だと思わないか」 「ほんとうに。私たちもそんなふうになれたらいいわね」 「なろうよ、ね」 まだ老年期も死も現実離れしたものに感じられた頃の対話だったが、それ以来、私は密かに、そんな老いの日が二人に訪れるようにと祈ったものだった。だからシェイクスピア家に嫁いで、即、始まった苦労ずくめの日々も、ウィルがロンドンで仕事をしていて、ほとんど別居したまま過ぎた長い歳月も、彼が帰郷してからの気がもめるばかりの数年間も、すべて祝福された老いの日へ向かう道と思って耐えてきた。 それなのにウィルは、そうした老いの日を待たずに、きょう五十二歳の誕生日にひとりで逝ってしまった……。 もしも木になれたとしたら、ウィルは何の木になりたかったのだろう。神話どおりに樫の木だろうか、それとも何回か彼の芝居の台詞に出している香柏だろうか。 もしかしたら、彼がとりわけ思いを寄せていたあの桑の木に、いまウィルの魂は宿っているの かもしれない。キリスト教徒にあるまじき考えだけれど、ウィルはあれほどギリシア・ローマ神話を愛していたのだから、そんなふうに思うことも許されるだろう。 桑の木の梢にはクロウタドリが来て噂っている。 コマドリの鳴き声も聞こえる。 小さな羽虫や蝶が舞い、草の葉の上を虫が這っている。 その根元で日を浴びているのはトカゲだ。
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