学校が泣いている 文教都市国立からのレポート
著者
石井昌浩/著
出版社
産経新聞ニュースサービス
定価
本体価格 1429円+税
第一刷発行
2003/08
ISBN 4-594-04161-2
 
教育の先鋒都市国立で起きていること。 その現場から教育の実態が見えてくる
 

-------- 平成12年3月、国立第二小学校で起きた「校長土下座要求事件」は教育界を震撼させました。本書は国立市「現職の教育長」が、当事者だからこそ見えてくる国立の教育界の抱える問題を白日の下に曝し、打開策を提示していきます。これは日本全体に当てはめることも可能で、わが国の学校教育問題解決の金字塔になることは間違いないでしょう。
石井昌浩( いしいまさひろ)

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1940(昭和15)年生まれ。山形県出身。早稲田大学法学部卒業後、東京都庁に就職。30年余在職。その間、都立教育研究所次長など、教育行政管理職を20余年歴任。
著書に『教育そのゆらぎと再生』(学事出版 99年3月)、論文は「学校選択自由化の論点」(東京造形大学研究報 02年3月)など多数。99年4月より東京造形大学非常勤講師(教育行政学他)、99年10月より東京都国立市教育長に就任。



まえがき

国旗・国歌をめぐる混乱は、戦後のある時期まで学校現場ではさほど珍しい話ではなかった。
国旗・国歌問題は、長い間、戦後社会における対立軸の一つだった。
全国どこでも見られるありふれた光景といえたのかもしれない。
しかし、ある日の国立第二小学校の卒業式をめぐって表面化した一連の出来事は、国立市という、東京近郊の一地域を超える広がりと深さをもつ、何か重い意味を感じさせられるものだった。
あの日以来私は、その広がりと深さの正体について考え続けてきた。
国立の教育をめぐる数多い情報の中で、何が事実であるか否かを見定める作業は決して容易なものではなかった。
私が、「さしあたってこれだけは言わなければ」と決意するまでには四年の歳月を要した。
まして、現職の市教育長の立場にありながら、論議を呼ぶだろうさまざまな事実を改めて公にすることには少なからぬためらいがあった。
「言わぬが花」の言葉も脳裏をよぎる。
新たな波風を立てることはもとより望むところではない。
にもかかわらず、私があえて一歩踏み込んで発言するのは、次の理由からである。
国旗・国歌問題をきっかけとしてにわかに注目された「国立の教育」のありようをめぐる報道は、マスコミにせよ、ミニコミにせよ、また個人の言説にせよ、その見出しを読めばすぐ記事の中身が推測できるような、ある種のバイアスのかかったものが圧倒的に多い。
それゆえにこのままでは、「国立第二小学校問題」の何が事実か、その本質が明らかにされないままに、関係者の記憶と意識が風化してしまい、結果として、子ども不在のイデオロギー対立の構図のみが残ることを恐れたからである。
そのためまず初めに、平成十二年三月二十四日の卒業式における国旗・国歌問題を発端とする、「国立第二小学校問題」についてのいくつかの事実を明らかにしたい。
もう一つは、「文教都市国立」の教育に内在する課題の多くが、いわゆる戦後民主主義が構築してきた諸理論、実践と深く関わることを明らかにしたいためである。
「国立の教育」の内実を解き明かすためには、戦後民主主義とはそもそも何であったのか、その原点と戦後教育の全体を跡づけることが不可欠であると考える。
「お国のために」という戦前の思想が昭和二十年八月十五日の敗戦を境にして全否定され、民主主義の思想がそれに取って代わった。
それ以降、民主主義は戦後の日本社会の政治、経済システム、教育システムなど、あらゆる分野における支配的な思想となった。その誕
生のいきさつからして、日本固有の歴史・文化とアメリカ流民主主義との寄せ木細工のような脆さをもつ戦後民主主義思想は、国民の間に「権利と義務」、「自由と規律」についての自己中心的な認識を蔓延させた側面が否定できない。その認識が支配的な風潮となった
結果、戦後民主主義誕生の神話のからくりを問うことは、いつの問にかタブーとされた。
このような歴史的背景をもつ戦後民主主義思想が、国立のもつ独特の風土と作用し合って、今日に見るように「純粋培養」されるに至ったと思われる。この純粋培養された戦後民主主義が学校現場にもたらした光と影について、戦後五十年に及ぶ「国立の教育」の歩みに即して論じることとしたい。
「子どもが主体」「個性尊重」「自由のびのび教育」など、数々の美しい言葉で語り継がれてきた「国立の教育の物語」を解明し、国立の教育の本質を問うことが、とりも直さず戦後民主主義を問うことにつながり、今日の、危機に立つ日本の教育を立て直すための有力な手がかりになると考えるからである。
平成十一年十月、私は国立市教育長に就任した。その前後の事情について触れておきたい。
同年の三月、私は三十年余勤めた東京都庁を、定年を少し残して退職した。
二十年を越す教育行政管理職の経験を生かして大学の研究者へ転身するためだった。四月から大学の非常勤講師のかたわら、翌年に備えて教育行政学などの基本文献に当たる毎日を送っていた。

(本文P.1〜3 より引用)


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