娘のいる食卓
バルセロナから戻ってみると、オーストラリアとインドを半年ほど放浪していた娘が家にいた。
「これから毎日、夕食作るの私の仕事だから、おこづかいちょうだいね」まったく、二十五歳にもなって何を考えているのかさっぱりわからない娘である。
「日本に戻ると何でも美味しいからうれしい」帰国以来、娘はやけに納豆に凝りだし、食卓には毎晩納豆が並ぶようになった。
水戸、北海道、大粒、小粒とスーパーで手に入るあらゆる種類の納豆が、シチューや焼き肉の時でさえテーブルに置かれるのだ。
「朝はいいけど夕食に納豆はイカン」僕は限をつりあげるが、妻は「好きなようにさせればいいじゃない」と冷ややかに言い、娘は「日本は何でも美味しいね」の一点張りで僕の苦情などどこ吹く風である。
なんでも、オーストラリアの農場にホームステイをしていた時は、朝は紅茶にパンで夜はステーキとジャガイモという生活が三カ月間続いたそうである。
その次に訪れたインドでは、カレーとナン以外美味しいものが見つからなかったという。
「だからといって、なんで納豆なんだ」
確かに納豆は美味しい。だが夕食の時は避けてもらいたい。
切実にそう思うのだが、妻は娘の肩を持ってパンにまで納豆を挟んで食べている始末だし、息子も納豆があれば文句はないのか、口を出さない。
「白いご飯と納豆さえあれば、私は何もいらないわ」娘は遠い眼をして窓の外を見つめている。
大豆は豆腐、味噌、しょうゆと日本の伝統食品に欠かせないものだが、アメリカや中国からの輸入物が多い。
納豆にも、油分が少なく炭水化物量が多い中国産大豆が用いられている。
そう娘に言うと、「工一ッ。水戸の納豆も?」と衝撃を受けていた。
僕は、昔ながらのワラに包まれた、日本一美味しいと言われる水戸納豆を知っている。
もう二十年も昔、友人と霞が浦に釣りに行った帰りに車の中で納豆談義になり、その店を教えられたのだ。
しかしそれは水戸に行かなくては手に入らない。
「そのワラに入った納豆を食べたい」
生まれて以来パック入りの納豆しか食べたことがない娘は騒ぎだした。
「どこか近くの店で売ってないの?」
「水戸でしか売らないとそこの親父は言っていた」
「でも食べたいよ」
今や娘の声は家中に響いている。
妻は「暇なんでしょう。水戸まで行ったら?」
手にソファに転がり、気怠そうに言った。
と新聞を僕が水戸に行ったのは、一日中雨が降りつづく寒い日だった。
昔ながらの納豆の店は以前とまったく変わらず、中から大豆をゆでるにおいが強烈にただよってきた。
値段は倍ほどに上がっていたが、二十年もたつのだから当たり前の話である。
ワラ入りを五本ばかり包んでもらい、何気なく大豆は中国産ですかと尋ねると、主人はきっぱりと「うちはコスズの国産大豆しか使わない」と言った。
家に戻るとすでに深夜で、娘はもう寝てしまっていた。
僕は食卓の上にわざとらしくワラの包みを積んでおいた。
朝になると台所は大騒ぎになっていた。
犬のクロがいつの間にか忍び込み、納豆を食べてしまったのだ。
部屋にはワラと納豆の無惨な残骸だけが散らばっていた。
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