どうしてもっと、自分の生き方に自信を持って来なかったのだろうあなたのつぶやきは、誰に届くの?「何だか、いつも生きてない方の人生に負けたような気になっていたの。そんなもの、どこにもないのに、人生はひとつしか生きられないのに」(本文より)
世の中のすべてのことは、大概、ふたつに分けられる。 たとえば美しいかそうでないか。 たとえば楽天的か悲観的か。 そして、たとえば、幸か不幸か。 それは選ぶのではなく、ほとんどの場合、自分の意志とは関係なく備わったいわば運命のようなものだ。 なのに人はそのことになかなか気がつかず、背伸びしたり肩肘を張ったりして自分を装う。 そのうち道に迷い、やがて出口が見つからなくなる。 二十七歳になった時、伊田薫は自分がどちらの人間か、ようやく認める気になった。 入社して五年、仕事はそれなりに頑張ってきたと思う。 残業も出張もいとわず、有給休暇は毎年、半分も消化しなかった。 広告代理店という仕事柄、クライアントにセクハラまがいのことをされても我慢してきた。 ストレスで生理が止まったり、頭の中に小さな円形脱毛症を見つけたこともある。 そんな毎日を経たからこそ、ようやく認める決心がついたのだった。 『私は仕事に生きる人間じゃない』 それを認めたら、急に気持ちが楽になった。 今となると、どうして仕事に生きようなんて思ってしまったのか理解に苦しんでしまう。 たぶん、受験戦争と就職難を勝ち抜いて、人気の高かった一部上場のこの会社に総合職として勤めた時、周りの雰囲気に圧倒されるようにそんな気持ちになったのだろう。 たやすく「結婚」なんて言葉を口にしてはいけない気がした。 ましてや「専業主婦も悪くないと思う」などと、口が裂けても言えるはずがなかった。 けれど、もう頑張って生きてゆくのは疲れた。 誰かに頼りたい、守られたい、それが正直な気持ちだ。 そうして、その誰かのために料理を作り、居心地のよい部屋を用意し、愛らしい子供と一緒に夫の帰りを待つ生活がしたい。 そんな結論に至った大きな原因のひとつに、同じ部署にいる笹原郁夫の存在があることは、否定できなかった。 もうかなり前から、オフィスの中で、社員食堂で、飲み会で、薫は目の端で郁夫の姿を追う自分に気づいていた。 郁夫は三十一歳。派手さはないが、堅実な仕事ぶりと、信頼できる人柄で、大手企業の顧客を何社も抱えていた。 当然、上司からの信頼も厚く、将来を属望されている。 かと言って出世にキリキリしているようなところはなく、ざつくばらんで、人を笑わせる余裕もあり、後輩たちの面倒見もいい。 女性社員の何人かが、郁夫を意識しているのは知っていた。 もっと露骨な言い方をすれば、狙っていた。 特に一般職と呼ばれる女性たちは、結婚相手を見つけるのに躍起になっていて、彼女らが郁夫を「カモ」にするのも当然だった。 たとえば、総務の二十四歳のロングヘアは、さして用もないのにさかんに社内メールを使って郁夫にメッセージを送ってくる。 受付に座る胸の大きい二十三歳は、郁夫が前を通るたび「お疲れさま」「お帰りなさい」に加えて、他の社員には決して見せない特別な笑顔を向ける。 秘書課のいつも七センチのヒールを履いた二十六歳は、もっと露骨にランチやディナーに誘っている。 そのことに、内心、穏やかならざるものを感じながらもやり過ごしているのは、当の郁夫が彼女らのアピールにまったく気づいてないからだ。 そういう無頓着なところが郁夫にはあり、そこに薫はますます惹かれるのだった。 広告代理店という職業柄、女性関係が派手な男たちは多い。 景気が悪いと言われながらも、経費という名目で使える金額はまだ十分にあり、そうなると当然のことながら女の子たちにいい格好をしたがる。 けれど、少なくとも郁夫にそれはなかった。 むしろ、同僚たちと居酒屋や焼き鳥屋に行くのを好むようなタイプだった。 そんな郁夫に対する思いは、もう自分でも認めているのだが、どんな形で自分の思いを伝えるかとなると、話は別だった。 正直言うと、どうすればいいのか見当もつかなかった。当たって砕けろ、の心意気でぶつかるには、少しは世の中を知るようになっていたし、臆病にもなっていた。 少し前、大学時代の友人が、今の薫と同じように同僚を好きになり、迷った挙げ句にそれをやって本当に砕け散ってしまい、今も立ち直れないままでいる。 先日の電話では、会社を辞めて田舎に帰ろうか、とまで言っている。
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