
楽器の音だ。
のれんを分けて外に出て数歩行ったところで私の耳にかすかな弦の音らしきものが聞こえてきた。
あれはギターの音色だ。
アルペジオというのか。
普段テレビなどで聴くエレキギターの音とはまったく違う、弦の一本一本を指で弾く澄んだ音色が暗い地面を這うように響いてくる。
混じっているのは女性の声だ。
誰かがギターを弾きながら歌を唄っているのだ。
ストリート・ミュージシャンという言葉が頭の奥に湧いた。
新宿や渋谷にはそういう連中がよくいるとは聞いていたけれど、京浜東北線沿いの小さな町にそんな酔狂な人間がいるとは……。
駅裏の小さな路地にある、おでん屋からの帰りだった。
音色に導かれるように私はゆっくりと歩き出した。
駅裏と本通りの境辺りの道脇に女性がたった一人、男の子のように大胆に胡坐をかいて膝の 上のギターを指で弾きながら歌を唄っていた。
本通りと裏町の境ということもあって決して明るい場所ではなかった。
ちょうど明と暗が微妙に混じりあう、騒音の少ないさりげない場所だった。
手許を覗きこんでいるため顔はわからなかったが、黒い髪が肩までかかっていた。
客は一人もいない。面白そうに眺めていく通行人はいても、わざわざ立ち止まって歌を聴く者は皆無だった。
私は少し距離を置いてその女性の歌を聴いた。
単調で柔らかな旋律は中年の私の耳にも心地よく響いた。癒される思いだった。
一曲が終り、次の曲に移った。
私はそっと目を閉じた。
風がさらさら吹きぬけて
生れたばかりの子供の手
握りこんだ手を最初に開くとき
その手は何をつかむのでしょう
愛ですか
夢ですか
それとも殺したいほどの
憎しみですか
生れるときはみんな裸
白い心を持ってます
青い海を青く感じるように
赤い花を赤く感じるように
心は何を求めているのでしょう
風がさらさら吹きぬけて
やがて子供が大人になっても
八月二十二日を私は忘れない
風がさらさら吹きぬけても
反戦歌かなと最初は思ったが、どうもそういった類のものでもなさそうだ。
何の変哲もない簡単な歌詞なのだが、どことなく焦点がぼやけているような……それにハ月二十二日というのがよくわからない。
よほどお気に入りなのか、その女性はこの歌を三度つづけて唄った。
よく通る声だった。
人間の心をふわりとつつみこむような柔らかさがあった。
今の時代からはかけ離れているかもしれなかったが、中年の私には十分に満足できる曲だった。
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