恋に揺れ、結婚に悩む女たち。現代の恋の悩みを描き切る、待望の短編小説。
安藤七美は、今どき珍しい古風な女の子である。 大学を出た後、一度も就職せずにお稽古ごとだけで過ごしてきた女というのは、現代において非常に稀有な存在であろう。 そればかりではない。 万事に控えめで、他人に惜しみなく好意と手間を尽くす、などという性格は、探そうとしてもなかなか見つからないはずだ。 七美とは九年前、私がほんの気まぐれから始めた茶の湯の師匠のところで知り合った。 このお稽古場は世田谷の高級住宅地にあり、習いに来ているのは金持ちの夫人や娘が多い。 彼女たちは身につけているものも大層派手で、ある時など着替えの部屋にバーキンがずらりと並んだことさえある。 私たちの師匠は七十過ぎた未亡人で、昔はさぞかし大きな屋敷だったろうと思われる土地を、息子夫婦と半分に分け、小さなしゃれた家を建てて住んでいた。 前の家から移築したという茶室は、ほとんど知識のない私から見てもたいしたもので、今これをつくったら何千万という金がかかるはずだと師匠は自慢したものだ。 そういうことに詳しい生徒の話によると、師匠の亡くなった夫は、とある製薬会社のサラリーマンだったという。 東大卒ということで縁が出来たのだがあまり出世することもなく、この 家や高価な茶道具はひとり娘の師匠が親から受け継いだものだそうだ。なんでも師匠の父親は、関西出身の大金持ちで、戦争前から知られたかなりの数奇者だったという。 「だから先生は、いつまでたってもお嬢さま然とした、ちょっと世間知らずのところがあるんだわ」 と、話を聞かせてくれた仲間のひとりは言ったものだ。 といっても、趣味のいい着物を着ていなければ、師匠はただのおばさんに見える。 七十代といえば、都会なら色香の残っている女はいくらでもいるものだけれども、師匠はそうではなかった。 背が低いうえに、あまりにも太っているため洋服がまるで似合わない。夏の暑い日など、お稽古着をさっさと脱いで、ワンピース風のものを着る時があったが、袋を被ったような形のあまりの不格好さに、若い生徒などはしきりに笑いを噛み殺していたものだ。 「本当に年ごとに正座がきつくなって嫌になってしまうわ」 と師匠はよくこぼしたものだ。 「憶えておきなさい。美しい格好を保つのも、お茶の心の大切なことなんですからね」 その師匠が、お茶事の姿勢がよいとまずあげるのが七美であった。 高校を卒業するまで日舞を習っていたという七美は、何をしていても背筋がまっすぐに伸び、膝に置いた手の形も美しく決まっていた。 こういう和のお稽古に合った容姿というのは確かにあり、彼女はこづくりのすっきりとした顔をしている。 東北生まれらしい白く透きとおるような肌に切れ長の目、小さく薄い唇というのは、流行の派手やかな顔立ちの娘たちに混じると、やや淋し気に見える時があった。 けれども和服を着けた茶会となると、もう七美の独檀場だ。 着なれない着物に、もそもそと裾を動かす娘たちに混じり、七美は水際立った様子を見せる。 母親の趣味だという生地のよい古典柄の着物をまとい、すっくと立ち上がるさまは、師匠でなくても誰かしらが羨望の声をあげた。 師匠には、七美以外にもう二人、お気に入りの生徒がいた。 彼女たちに共通していることは、いつでも時間と車が自由になったことだ。 これは生徒なら誰でも知っていることであるが、師匠は隣家の長男夫婦とあまり仲がよくない。 なんでも土地の分割の際、かなりごたごたしたということだ。 だから嫁にあたる長男の妻は、彼女のめんどうをいっさいみない。 師匠は外のお茶会や、何かのパーティーというと、その三人の女を運転手兼秘書として連れていった。 かわるがわる誰かひとりが、師匠に指名され、その日一日つき合うことになるのだ。 他にも勤めておらず、車を持っている娘は何人かいたが、みんなうまく逃れてしまったのである。 この三人は自然と師匠のお気に入りということになり、よく食事にも連れていってもらっていた。 けれども若い娘のことである。
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