人殺しパラダイス
著者

ヒキタクニオ

出版社
新潮社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2002/11
ISBN 4-10-442304-1
絞め殺したい。消えてくれ この世から。 日々の暮らしの様々な“悪意”・・・

人殺しはいけません。でも、なぜ殺らないんですか? 病室に現れたアメリカ女の啓示、ホストが落ちた“心の読める鳥”の恋……様々な“殺意”をクールに描く、『凶気の桜』の著者の不道徳な短篇集。

黒人の大きな黒眼に、筆先に乗せたジンクホワイトの絵の具を、そっと移し落とすようにして、小さな点を入れる。
たった、それだけのことで、紙に描かれた黒人の顔に生命力が溢れる。
仕上がったポスター用のイラストに、俺は作品保護用のパラフィン紙を被せた。
今までに何十枚もの黒人のイラストを描いてきた。
俺がどうにかイラストレーターとして喰ってこれたのは、黒人のおかげだった。
俺が言うのも変な話だが、日本人は黒人の絵を奇妙に好む。
犬や猫の絵を専門に描くとイラスト屋は喰いっぱぐれない、と言われるが、黒人の絵も同じようなもんだった。
ブルース風とかジャズっぼいなんて言葉で俺の絵は表現され、近頃では"サルサな感じ"と言われ始めた。
最初のイラスト仕事は歯磨きの宣伝ポスターだった。
"ぼくの歯は真っ白"というふざけたコピーの下に、チューブ歯磨粉を持っている黒人のイラストを描いて、ギャラは十五万円だった。
現在なら政治的インコレクトだと大目玉をくらいそうな絵だったが、評判は上々でぼつぼつと仕事が入ってきた。
そして、二十八歳の時、ジャズ雑誌の表紙のイラストを連載することが決まり俺の生活は安定した。
「黒人なら山下」と名前を憶えられるのにそれほど時間はかからなかった。
当時のイラストレーター仲問は、軽蔑と嫉妬を混ぜ込んで「おまえの絵には思想がない」と言った。
来日する黒人ミュージシャンの似顔絵を自分のタッチで描くのに何の思想が必要なんだと思ったが、俺は論争は避けてきた。
広告のイラストを描いたことのない人間にはわからないことだと思ったからだ。
広告代理店のアート・ディレクターは、ジェームス・ブラウンの手に載せられた商品の鞄の色に合わせるため、JBの肌の方を色指定で変えようとしてくる。
そんな人権侵害の要望を俺は二つ返事で引き受けた。
「山下ちゃん、"この鞄はJBの皮膚で造られてるんだぜ!"って感じが今回のコンセプトなんだよ。だからJBの方をもうちょっとビターチョコレート色にして、鞄に合わせてちょーだいよ!」クリエーティブ・ディレクターのこんなブラックなジョークを日々受け流すことを繰り返していたら、思想なんてものはなくなってしまう。
商品を売るために添えられるイラストについて、思いを巡らせるほど無駄なことはない。

(本文P.6〜7より引用)

 
 


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