オリガ・モリソヴナの反語法
著者
米原万里/著
出版社
集英社
定価
本体価格 1800円+税
第一刷発行
2002/10
ISBN4-08-774572-4
1930年代モスクワで人気を博し、激動の東欧、ソ連を生きた伝説の踊り子に隠された驚愕の過去。著者自身が通ったプラハ・ソビエト学校の老女教師の数奇な生涯を辿る、新大宅賞作家、感動の長編小説。

一九六〇年代のチェコ、プラハ。父の仕事の都合でこの地のソビエト学校へ通う弘世志摩は四年生。彼女が一番好きだったのは、オリガ・モリソヴナ先生の舞踊の授業。老女なのに引き締まった肉体、ディートリッヒのような旧時代の服装で踊りは飛び切り巧い。先生が大袈裟に誉めたら、要注意。それは罵倒の裏返し。学校中に名を轟かす「反語法」。先生は突然長期に休んだり、妖艶な踊り子の古い写真を見せたり、と志摩の中の“謎”は深まる。あれから30数年。オリガ先生は何者なのか?42歳の翻訳者となった志摩は、ソ連邦が崩壊した翌年、オリガの半生を辿るためモスクワに赴く。伝説の踊り子はスターリン時代をどう生き抜いたのか…。驚愕の事実が次々と浮かび、オリガとロシアの、想像を絶する苛酷な歴史が現れる。新大宅賞作家、米原万里、感動の長編小説。

「ああ神様!これぞ神様が与えて下さった天分でなくてなんだろう。長生きはしてみるもんだ。こんな才能はじめてお目にかかるよ!あたしゃ嬉しくて嬉しくて嬉しくて狂い死にしそうだね!」
オリガ・モリソヴナはチャルダシュを弾いていた指先の動きを止めると、両手を頭上に掲げて天を仰いだ。
次にその手で頭を抱え、もうこれ以上こらえ切れないといったふうにこれ見よがしに身をよじって立ち上がるのだった。
「そこの驚くべき天才少年のことだよ!まだその信じ難い才能にお気づきでないご様子だね。何をボーッと突っ立ってるんだい!えっ!?」
吠えるように濁声を張り上げながらグランドピアノを離れ、ツカツカと講堂の舞台を横切って踊りの輪の中に割り込んでくる。
文法の授業で反語法のことを習うよりはるか前から、子供たちはみな、先生が「天才」と言うのは「うすのろ」の意味なのだと知っていた。
群舞を乱したハリネズミのジョルジックは狼ににらまれたみたいにちぢこまった感じになった。
図体がでかいポーランド人の男の子で、いがぐり頭の髪の毛がピンピンに突っ起っているものだから、そんなあだ名がついている。

(本文P.9より引用)

 
 


このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。
無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.