田原総一朗/著
■目次 第1部 ロッキード裁判は無罪である;第2部 「地球の彫刻家」たらんとす;第3部 コンピュータ付きブルドーザー;第4部 葬られた列島改造論;第5部 「唯角史観」政界を席巻す;第6部 角栄倒れてなお「角影」は続く;そしていま田中政治の呪縛を断ち切れるか ■要旨 田中角栄本人から、中曽根康弘、竹下登、小沢一郎、ブレーン官僚…そして佐藤昭子、早坂茂三まで。キーパーソンへの徹底取材と膨大な資料をもとに綴った「角栄と日本」総括の決定版。
まえがき 田中角栄とロッキード裁判は、長い間わたしにとって、解答の出せたい重い宿題であった。 わたしは、七六年七月号の「中央公論」に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」というレポートを書いた。 これがフリージャーナリストとしてのスタートとなった。 田中角栄がオイルメジャー依存からの脱却を図って、積極的な資源外交を展開した。 そのことがアメリカに睨まれて、アメリカ発のロッキード爆弾に直撃された、という問題提起であった。 このレポートの取材をしたことで、毀誉褒貶の極端に激しい田中角栄という政治家に、それゆえに強い興味を覚え、ロッキード裁判に注目せざるを得なくたった。 今回の取材は二六年間の宿題を、わたしなりに解き明かすことであったが、ロッキード裁判の疑問、矛盾に挑む、と親しい編集者たちに話すと、大半が「そんなムチャは止した方がいい」と忠告した。 一審、二審、そして最高裁まで”有罪”とたった裁判の判決に、裁判には全く素人のわたしが挑むのは暴挙に等しい作業だというのである。 そうかもしれないと思った。 だが、担当弁護士や検事たちの取材を重ねるにしたがって疑問や矛盾が次から次へとあらわれた。 率直にいって”被告”にされた人間たちにも、矛盾やウソがあり、検事や弁護士側にも苦しい、というより破綻した辻褄合わせやウソが少たからずあった。 それらを掴むと、矛盾の解明、謎解きの、有無をいわせぬ吸引力に引き込まれてしまった。 暴挙か否かを考える余地など全くたくなってしまった。 取材を進めるにつれて、わたしは少たくとも裁判としては“無罪”と判断せざるを得たくたった。 わたしが、はじめて田中角栄と一対一で長時間話したのは、八一年二月号の「文藝春秋」で四時間以上かけてイソタビューしたときであった。 立花隆の“金脈レポート”を契機に金権批判の波に呑まれて、七四年一一月に首相を辞めて以来、六年ぶりにメディアに登場したのである。 この時期、田中角栄は日本の政治を腐敗させた“元凶”として、新潟県民を除く全国民、全マスコミの敵とされていた。 わたしの質問に対して、田中角栄は終始おそろしく真面目で、事実関係を幾度も訂正し、同席した早坂茂三秘書に確かめ、あるいは天井を見上げ、目を閉じて考え込むなど、事実を正確に話そうと努めていた。 “政界の首領””闇将軍”といったイメージとはまるで違う謙虚さを随所で示し、マスコミの総攻撃を受けている困惑や、気弱さまで滲ませた。
(本文 まえがき より引用)
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