波 2002年11月号より
いっこく堂一家、さくら邸を訪れる
さくらももこ編集長『富士山』第5号
いっこく堂
--- 私は「さくらももこ」さんと友達であることを常々自慢している。それも、さり気なく「さくらさんの家にもよく行くしね」などと何気なさを装いながら。しかし心の中では、「凄いだろ!」と、かなりの優越感を持っているのだ。
彼女の才能は素晴らしい。マンガ家としての活躍は言うに及ばず、あのエッセイストとしての文才には、思わず舌を巻いてしまう。私は日頃から腹話術の訓練方法として舌を巻く練習をするが、さくらさんの文章には思わず舌を巻いてしまうのである。思わず、腹話術師に舌を巻かせてしまう彼女の才能は、「凄い」としか言いようがない。いや、「面白い」としか言いようがない。むしろ、「個性的」としか言いようがない。しかし、書いているうちに沢山の言いようがあった。
今でこそ、私のライブに「友情脚本」を書いてもらえる程なのですが、そもそも何故、二人は知り合いなの? 接点はどこ? と疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。「そんなの知りたくもねェよ」などと思う方もいらっしゃるでしょう。それに関係なくお話ししておきます。
絵本作家の「のぶみ」さんが共通の友達です。NHK「おかあさんといっしょ」の人気コーナー「ぼくのともだち」で大ブレイクした彼です。
のぶみさんの口添えで、雑誌「富士山第3号」の企画が実現して、初対面を果たすこととなったのです。
その話が決まって私よりも舞い上がったのが妻の方だ。何せ、さくらさん関係の本なら何でも揃えている大ファンなのだから。さくらさんと会えることになって急に尊敬されだした。今迄は別に腹話術をホメられたことなど一度も無かったのに、「腹話術師として生まれて来て良かったネ」などと訳の分からない、よいしょまでされた。
我が家は三人家族。おちゃらけ娘のゆめみ(六歳)がいる。彼女は何故だか知らないが、いつも楽しそうだ。一日中喋っている。おとなしい一面がどこにもない。親の私は、結構「気にするタイプ」なのだが、娘は違う。それがとても嬉しい。明るいのが一番。
そんな娘が三歳の頃。私と二人で、「みよしや」へ、30円のみたらしだんごを買いに行った時突然、店の前で「人生、何が一番大切なんだろうネ」と、ポツリ。それを聞いた私も店のおばさんも絶句。しばらくして、おばさんが、「この子哲学者になるよ」。
あの時は驚いた。三歳の子が人生を語るなんて有り得ないと思っていたのに。
あれから約半年後、絵本の「ちびまる子ちゃん」に、それとそっくり同じ台詞をまるちゃんが言っているのを発見した。
長くなりましたが、つまり娘もさくらさんファンであるということが言いたかった訳です。
二○○○年五月十三日、さくらももこさんに初めて会う日。家族三人と、いっこく堂の一座のメンバー、サトル・ジョージ・師匠も緊張気味。うちのメンバーは、リーダーである私が緊張すると全員がそうなってしまうという大きな欠点があるのだ。
さくらさんの第一印象は、本当にちびまる子ちゃんが、そのまま大きくなった人。イメージ通りだった。良かった。イメージと違わなかった。喋ると、まる子。笑うとまる子そのもの、である。
「富士山第3号」の内容としては、“いっこく堂がさくら宅へ訪問”という感じ。挨拶代わりに、ミニ腹話術ショーを開催した。観客であるお父様のヒロシさん、それにお母様もとても喜んでくれた。お二人とも想像していたより、かなり上品な方々でした。そして、想像通り優しい御両親でした。
さくらさんの息子さんも、腹話術にとても感心してくれて、今や、私のネタを暗記する迄になった。
現在では家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いております。
昨年、さくらさん宅への何度目かの訪問の時、息子さんが「僕は将来、ゆめみちゃんと結婚する」と一言。それに対する娘の答え、「私は違う人と結婚する」。それから彼は男泣きに泣いた。そして、しばらくして彼は、母の胸でこう言った……「いいよ、僕は親孝行でもするから」。当時六歳の失恋であった。
でも今では、あんなことが無かったかのように、二人の間には恋愛感情ぬきの友達関係が成立している。(彼は学校に、好きな子でもいるのだろう。)
ハァ〜、良かった。これからも気を遣うことなく、さくらさんちへ行ける。
(いっこくどう ボイス・イリュージョニスト)
(WEB新潮
から引用)
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