
あとがき
少年時代に読んだ小説の中に忘れられないタイトルの短編があった。
海音寺潮五郎の時代小説で、「酒と女と槍と」というのである。
酒を呑み、女をはべらせ、やがて槍と共に死んでいく。
その主人公を語るのには酒と女と槍というたった三つの言葉でいいのだ。
なんてカッコいいのだろう、と少年時代の私は思ったに違いない。
やがて、その小説の細部は忘れてしまったが、タイトルの記憶だけはいつまでも消えずに残った。
酒と女と槍と。
だが、この主人公ほど鮮やかではないにしても、誰にも「それさえあれば」というもののひとつやふたつはあるような気がする。
釣りさえできればという人もいるだろうし、音楽さえ聴ければという人もいるだろう。
そういう人にとっては海や河やコンサートホールやレコード店が「聖
地」になるだろう。
私なら、とりあえず映画と書物とスポーツのゲームがあれば、と言うかもしれない。
もしかしたらその三つに酒を加えてもいいが、それだと四つになって、少々バランスが悪くなってしまう。
映画と書物とゲームと。
そこで、その三つのものを味わう場所として「シネマと書店とスタジアム」が私にとっての「聖地」となる。
その三つの場所がありさえすれば人生は天国さ、というほどではないにしても、その三つの場所がなくなると寂しくなることは間違いないからだ。
この『シネマと書店とスタジアム』は、新聞に書いた映画評や書評や観戦記を集めたものである。
字数に制約のある欄で書くということは、文章上の不要なものをそぎ落とす訓練にもなるが、同時に書き足りないというフラストレーションを生む原因にもなる。
多くの場合、長く書いたものを削っていくことで辛うじて読むに耐える文章になるのだが、何篇かは削らない方がよかったのではないかと思えるものもあった。
そうした何篇かは削る前のかたちに戻してある。
この九十九篇のコラムが書かれた日時は以下の通りである。
銀の森へ
朝日新聞一九九九年十月四日 ─ 二〇〇二年九月二日(月一回)
いつだって本はある
朝日新聞 一九九二年五月二十四日 ─ 一九九五年三月十九日(不定期)
冬のサーカス
スポーツニッポン 一九九八年二月八日 ─ 一九九八年二月二十三日(毎日)
ピッチのざわめき
朝日新聞 二〇〇二年六月五日 ─ 二〇〇二年六月二十九日(不定期)
なお、「ピッチのざわめき」の中の「どうしてあの時ベッカムは跳んだのか」は、朝日新聞に掲載されていない。
連載の四回目に、ベッカムと安貞桓のどちらについて書くべきか迷い、両方の原稿を仕上げたが、最終的に安貞桓を選んだため、ベッカムの原稿が宙に浮いてしまった。
幸い、講談社から刊行された公式記録集『2002FIFAワールドカップ』に、少し短くして収録されることになったが、この「ピッチのざわめき」の流れの中で書かれたものには違いないので、ここに収録することにした。
新聞連載中にそれぞれの欄を担当してくれた記者の方は数多くいる。
本来は書くことが仕事の彼らにとって、外部の筆者の原稿を扱うことは余分な仕事だったろう。
だが、多くの記者が熱意を持ってこれらの欄を担当してくれた。
この本を作ってくれたのは新潮社の新井久幸氏である。
私はよほど新井という姓の編集者と縁があるらしい。
これまで、一緒に本を作るというほど緊密な関係を持った編集者は十人に満たないが、彼は実にその中の三人目の新井氏である。
その三人目の新井氏とは、これが初めて作る単行本だったにもかかわらず、私が三度目のアマゾン行によって日本を離れなくてはならなかったため、しなくていいはずの苦労をたくさんさせることになってしまった。
ところで。
マナウスに向かう飛行機の中で、久しぶりに海音寺潮五郎の「酒と女と槍と」を読み返してみた。
時は戦国時代、秀吉が関白の秀次を死に追いやった直後のことである。秀次の臣下の富田高定が、秀吉へのあてつけとして、公開の切腹をしようとする。
だが、酒を呑みすぎ、切腹をする時を失い、天下の笑い者になってしまう。
彼は恥じ、付き従うひとりの女性と隠遁生活を送るが、前田利長に懇望されてついに再仕官することを受け入れる。
そして、その直後の関ヶ原の合戦において、高定は愛用の槍を手に獅子奮迅の働きをし、自爆するように死んでいく。
これもまた
「士は己を知る者のために死す」というモチーフに貫かれたものだが、海音寺潮五郎はそれをカラリとした筆致で過不足なく書いている。
いいなあ、と私は思った。
そして次に、羨やましいな、と思った。
こういう小説が、まだ読んでいないまま、眼の前に無数にあった少年時代が、羨やましくてならなかったのだ。
二〇〇二年十月十五日
沢木耕太郎
(本文 あとがき より引用)
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