小さき者へ
著者

重松清/著

出版社
毎日新聞社
定価
本体価格 1700円+税
第一刷発行
2002/10
ISBN4-620-10662-3
勇気のスイッチが欲しくなるとき。子を、親を─人生を抱きしめた、深い共感を心に刻む 六つの物語。

ささやかだからこそ大切な“幸せ”。心に刻む、喜びと哀しみ。現代の語り部が
あふれる愛情でつづる、親と子と家族をめぐる6編の中編小説集。

1
空港を出るときに「しゅっぱーつ、しんこーっ!」と元気よく声をあげたミツルは、車が山あいのインターチェンジから高速道路に入ると、こてん、と音が聞こえそうなほどあっけなく眠ってしまった。
隣に座った真理が顔を覗き込み、頬を軽くつついたが、目を覚ます気配はない。
午前中にふるさとに着く飛行機に乗るために、七時前に東京の家を出た。
飛行機の中で寝るだろうと思っていたが、一時間ちょっとのフライトだ、窓に貼りついて景色を見ているうちに着いてしまった。
「単純なんだから、ほんと」
真理は苦笑して、畳んでトートバッグに入れてあったタオルケットを広げた。
『きかんしやトーマス』のキャラクタ】が勢ぞろいした、この夏休みのために新調したタオルケットだ。
「トーマス、好きなんだっけ?」
前を走る軽トラックを追い越しながら訊くと、真理は「そうでもないけど」と言って、タオルケットをミツルの膝にかけた。
「ミッちゃんは気にしないもんね、そういうの、ぜんぜん」
僕は助手席のカズキにちらりと目をやって、車を走行車線に戻した。
ハンドルの遊びをつかみきれず、少し急な動きになった。
もう一つグレードが上の車にすればよかった。
だが、三日間借りるとなると、レンタカーの料金もばかにならない。
「ゆうべも遅くまで騒いでたのか?」
今度はカズキに訊いた。
「うるさくって寝られなかった」カズキは唇をとがらせる。
「もう、サイテーだった」
「まあ、そう怒ってやるなよ、ミッちゃんはまだガキんちょなんだから」
「だって、あいつバカなんだもん」
「そんなこと言わないの」真理がリアシートから身を乗り出して、軽くたしなめた。「カズくんの寝付きが悪いのって、いつもじゃない」
「ゆうべはすぐ寝られそうだったんだもん、でもミツルがうるさいから……」
「蒸し暑かったもんなあ、ゆうべ」僕はとりなして笑う。
「お父さんも夜中に何度も起きちゃったよ」
真理もなだめるように「いまからちょっとでも寝れば?」と言ったが、カズキは「だってえ……」と声をくぐもらせる。
「車で寝ると首が痛くなっちゃうんだもん」一とりあえず「うん」と答えておけばいいのに、それがなかなかできない性格だ。
やれやれ、と僕はアクセルを少し浮かせ、ルームミラーでミツルの様子を確かめた。
五歳にしては大柄な体をチャイルドシートに収めたミツルは、タオルケットを早くも下に蹴り落として、気持ちよさそうに眠っている。
お兄ちゃんの不満など知る由もないし、たとえ起きているときに聞かされても、「眠れなかったの?ごめーん」の軽い一言で終わりだろう。
小学校に上がると、「眠れないほうが悪いんだよ」ぐらいは言い返しそうな気もする。
もう一度一やれやれ、とため息をついて、カズキに声をかけた。
「眠くなったら寝ちゃえばいいんだからな」
カズキは細い声で「わかった」と答え、シートベルトが肩にかかる位置が気になるのか、お尻をもぞつかせ、首をかしげたりすくめたりした。
「ねえ、お父さん……」声が、もっと細くなった。
「今年もヘビ出ると思う?」
「出ない出ない、去年はたまたまだったんだから。
おばあちゃんも珍しいってびっくりしてた
だろ。だから今年はだいじょうぶだ」
「……ほんとに?」
「だーいじょうぶ、心配するなって」

(本文P7〜9より引用)

 
 


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