沢木耕太郎ノンフィクション 1 激しく倒れよ
著者

沢木耕太郎/著

出版社
文芸春秋
定価
本体価格 1905円+税
第一刷発行
2002/09
ISBN 4-16-364850-X
豊饒な世界を全9巻に凝縮した「作品集成」

単行本未収録の傑作「儀式」「砂漠の十字架」を含むスポーツ作品の精髄12篇を一冊に。作品毎に自筆の解説付き。巻末で書下しを連載


 小社80周年記念出版の『沢木耕太郎ノンフィクション』がいよいよスタートします。これは、沢木さんの多彩な作品群の中から選りすぐった傑作に新たに書下ろす長篇を加えてジャンル別の全九巻に編んだ作品集成で、今月の配本はその第一巻。氏のスポーツものの処女作「儀式」、モハメッド・アリの最後の世界タイトル・マッチを描いた「砂漠の十字架」などの単行本未収録作品を含め、スポーツ・ノンフィクションに新たな地平を切り拓いた名品ばかり十二篇が顔を揃えています。全作品に添えた自筆解説、書下ろしの巻末連載作品も見逃せません。(FT)

「儀式」
についてのノート

一九七一年秋に行われた「日米対抗ゴルフ」とそこにおける「ジャンボ尾崎」を描いたこの作品は、一九七二年の「調査情報」一月号に掲載された。
この「儀式」という作品は、出来のよしあしは別にして、私にとって大きな意味を持つものだったが、これまでどの作品集にも収めたことがなかった。
それは、のちに『若き実力者たち』のひとりとして尾崎将司を描いた際、かなりの部分を取り入れることになったからだ。
しかし、一九九五年十一月、「ナンバー」が「二十代が描いた二十代」という主題のもとに別冊を出すことになって、再収録することに同意した。
二十代が描く二十代ということでいえば、間違いなくこの「儀武」も二十代のライターが書いた二十代のアスリートについての作品だったからだ。
実際に取材したのは一九七一年の十月から十一月にかけてであり、私が二十四歳の誕生日を迎える直前の十一月の半ばに脱稿した。
ということは、このとき尾崎はすでに二十四歳になっていたが、私はまだ二十三歳だったということになる。
同じ昭和二十二年生まれだが、彼は一学年上の早生まれだったからだ。
そんなことは正確に書けばいいことなのに、文中では《この時がはじめてである、尾崎もぼくと同じ二十四歳の若者であることが実感できたのは》とある。
そのときの私には、自分と彼とは同じ年齢なのだという意識が、書くうえでの強い支えになっていたのだろう。
担当の編集者は「調査情報」の今井明夫、宮川史朗、太田欣三の三氏。とりわけ太田民は、編集部の小部屋に泊まり込み徹夜で原稿を書く私に、黙って幾晩も付き合ってくれた。


昭和四十三年一月三十一日、スポーツ新聞の一隅に、たった二行のこんな記事が載っていたのを、誰が注意して読んだことだろう。
「◇パ・リーグ公示
▽任意引退”西鉄・尾崎正司」

これこそ、三十九年春の選抜高校野球で優勝投手となり、数千万円の契約金という大きな鳴り物入りで西鉄に入団した尾崎正司の、野球生活における最後の報道だったのである。
それから、確実に四年が過ぎようとしている。
しかし、この四年の間に、任意引退“西鉄・尾崎正司は、将司と改名してゴルフ界のジャンボ尾崎に変貌したのであった。
野球界を去った尾崎が、以後どのような生活をしてきたのか。
それは、いわば書かれなかった「もうひとつの『巨人の星」物語」である。
あるいはこう言い換えてもよい。
ジャンボ尾崎について語ることは、もうひとりの星飛雄馬の「それから」について語ることだ、と。
「少年マガジン」に長いあいだ連載されてきた『巨人の星』が終ったのは、昭和四十六年のことである。
主人公の星飛雄馬は、大リーグボール三号という魔球を駆使することで「巨人の星」を掴みかけるが、逆に自らの左腕を破滅に導くことになる。

 
 


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