反米という作法
著者

小林よしのり 西部邁

出版社
小学館
定価
本体価格 1700円+税
第一刷発行
2002/09/01
ISBN4-09-389053-6
「クソリアズム」より 理想を語れ!

■目次
第1章 戦争とテロル(「戦争のテロル化」と「テロルの戦争化」;現代のヒトラーが現れた! ほか);第2章 マナーとしての反米(戦争までもがアメリカの独占物になった閉塞感;「ならぬことはならぬものです」 ほか);第3章 「自由・平等・民主主義」徹底批判(米ソは近代主義から派生した双子の左翼国家;グローバリズムを加速させた「自由・平等・博愛」 ほか);第4章 「新しい歴史教科書をつくる会」の内幕(西尾氏の批判の論理;コンプレックスが生んだ怨念 ほか);第5章 学問のすゝめ(売春婦は肉体をさらし、知識人は精神をさらす;「表現の自由」は無制限か? ほか);終章 日本人の過去・現在・未来(「日本的なるもの」の原理はどこにあるか?;ペリリュー島とひめゆりの塔 ほか)

■要旨
「クソリアリズム」より理想を語れ!「新・ゴーマニズム宣言」小林よしのりと思想の人・西部邁が紡ぐ言葉の可能性。

「新・ゴーマニズム宣言」小林よしのりと評論家・西部邁が、テロと戦争、アメリカと日本から人間関係まで語ることの可能性を探った対談本。テロ事件以降の世界を鳥瞰し、日本のとるべき態度の根本に「マナーとしての反米」がある、とはどういうことなのか?

 「新・ゴーマニズム宣言」小林よしのりと評論家・西部邁が、テロと戦争、アメリカと日本、歴史とナショナリズムから親子・夫婦・友人関係まで語ることの可能性を探った、激しくも優しい対話。テロ事件以降の世界を鳥瞰し、日本のとるべき態度の根本に「マナーとしての反米」がある、とはどういうことなのか?時には、歳の離れた友人の語らいとして、時には重厚な思想的対談として、「希望のしぶとさ」を探る人生論。混迷の現代をいかに生きるべきなのか?日本の将来になにを遺すべきか?我々はもう一度、信頼を快復するために友、家族そして隣人たちと「理想」を語り始めなければならない。写真家・鈴木理策による対談フォトストーリーがさらに読者を深い思索へと誘う。

 

まえがたり

小林
わしの読者はみんな知っていることですが、わしの主張に反論する人たちが、逆に知らないようなので(笑)、初めに言わせてください。
わしは最初、西部さんのことを「ハエたたきジジイ」だとか「流氷に乗っけてトドと一緒に北海に流す」とか、ボロクソに描いていたんですよね。ところが『ゴーマニズム宣言』を描き続けていくうちに、西部さんという人物は、わしに偽善を見抜かれて、見当違いの悪意を仕掛けてくるサヨクとか、自己顕示欲を正当化するために知識人になっている単なる嫉妬野郎とは全く違う立場だということがわかってきた。それでわしは西部さんを美学のある本物の知識人だと認めて、『ゴー宣』の中でも謝罪してその経緯を描いたわけです。
わしが西部さんのことをボロクソに描いていた頃は、西部さんの読者からよく手紙が来ましたよ。欺瞞を許さないのが西部氏の言論なのだから、あなたは西部さんと根は同じだとか、ちゃんと読みなさいとか書いてくる。西部さんはやっぱりいい読者を持っていますよね。
『ゴー宣』を描き始めたときは、わしはエッセイの延長線上のつもりだったから、知識人を相手にする気はなかったんです。ところがエッセイだからいろいろな社会問題を入れざるを得なくて、時事問題を扱いながらわしの見解を示すと読者がどんどん増えてくる。漫画の中の自分のキャラクターを責任持って演じるうちに、危険も引き受けてきたからか、読者の信用がついてきて、いつの間にか影響力を持つようになったんでしょうね。
だから、わしが単なるエッセイのつもりで描いていても、それでは済まなくなってしまった。西部さんのことを描いたときも、西部さんの読者の中に、重ねてわしの本を読んでいるやつがいたんでしょう。
ただ、わしはまだ若かったから、ほかの知識人と同じだと言われることがすごく嫌で、猛烈に反発するわけです。今の若手の知識人には自分のオリジナリティーを強調したいがためだけに、絶対に同調しまいとするような人間がいるけど、それとほとんど同じ感覚でしたね、わしも。だから西部適に対して、もっと辛辣に描いてしまう。
もちろん描かれる側はいい気持ちなんかするわけはないし、自分で読むまいと思っても周りの人間が絶対言ってしまう。小林よしのりという漫画家が、あなたのことをこんなふうに描いているよと。
そのときに、いったいどんな態度をとってくるか。西部さんは絶対歯軋りはしていたはずだと思うけど、やっぱり自分は保守言論人だと。保守言論人で、相対主義者ではない。
価値の順列は大事だと言っている。従って、カルチャーには順位がある、順列がある、メインとサブがあるという立場なわけでしょう。まともにサブカルを相手にして反論を始めたら、要するに文章自体も醜くなるし高尚なものができ上がるわけもない。それで西部さんは、漫画なんか読むわけないじゃないかという態度に出たんだと思うんですよ。

西部
それが少し違うんだ。

小林
違うの?

西部
うん。
順序立てて言うと、保守論壇での立場とか、文化における物事の序列とかいうのではなくて、もっと素朴なことなんです。正直いってあなたの漫画には相当いらだたせられたけれども、ここで感情的に小林よしのりなる人物に反発したら、自分がおかしくなる、自分の感情と理屈が歪むという懸念が生じたわけです。そういう意味では、小林さんの漫画というのは人をいわば実存の不安に追い込むところがある。だから、これに負けたらオレはやばいという警戒心が自分の中に出てきて、ぐっと我慢したわけです。
ただ、僕はかなり正確に書いていたんですよ。古臭い漫画かもしれないけれど、僕はあ の頃熱烈に『じゃりン子チエ』(はるき悦巳)を読んでいたわけ。本当に何にもやりたくなくなって、それでも自分の気分を立て直さなければならないと思ったときに、『じゃりン子チエ』の全集を買ってきて、ひょっとしたら一冊を十回ぐらい読んでいる。
それぐらい漫画映像というものを認めていたから、正確に言うと僕は漫画ごときがとか、漫画を読んでいないとは書いていなくて、漫画を人前で読むなと書いただけなんですよ。
漫画はサブカルチャーなんだから、公の場にはふさわしくないということです。でもあなたの漫画は、特に近年、公の問題を扱っているので、その限りではないのですが。

(本文P15.〜17より引用)

 
 

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