有利子
著者

幸田真音

出版社
角川書店
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2002/07/27
ISBN4-04-873389-3
ペイオフ時代到来。あなたのお金、どうしますか?

ペイオフ時代到来。あなたのお金、どうします?投資アドバイザー有利子が、1400兆円の個人金融資産を救う。ベストセラー『日本国債』『凛冽の宙』の著者が個人資産運用の世界を描く、初のコミカル・エンターテインメント経済小説。

ねえ、早くして……。

財前有利子は、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
タイトスカートの裾から忍び込んできた
男の手が、行き先を求めて手間取っている。
お願いだから早くして。
人が来るわ……。
もどかしさに、思わず身体をよじると、背骨のあたりに固いものが触れた。
ふたば証券青山本店ビルの十二階。
秋もすっかり深まった、金曜日の夜八時を過ぎたディーリング・ルームには、すでに人影はない。
広々とした改築後間もないワン・フロアには、まだあたりに新建材の匂いが残っていて、部屋の半分まで照明が消された薄暗さのなかにも、どこか華やいだ空気があった。
同じふたば証券でも、有利子の勤める銀座支店と較べれば、本店は格段の違いだ。この階だけでもスペースは数倍はあるだろうか。
とくに会社の要というべきこのディーリング・ルームは、部屋の広さも、デスクの大きさや通路も、たっぷりと賛沢に作られている。
その片隅の、ちょうどパーティションで遮られた為替トレーダーのデスクで、坂上一樹はいきなり有利子を抱きすくめてきた。
「今夜はぜったい来てくれると思ってたよ……」
坂上は、すでに息を弾ませている。
「今日の市場、荒れたみたいね……、あ……」
有利子の声も、途中からあえぎに変わる。ブラウスのボタンがはずされ、坂上のもう一方の手が、胸のもっとも敏感な部分を捕えたからだ。
「そうさ、激しかったよ。だからオレのここも……、昼過ぎから、ほら……、ずっとこんなままだった」
かすれた声で坂上は言い、すぐに有利子の手を取って自分のズボンの前の部分に導いた。
夕方まで続いた激しい相場が、この男を翻弄し、恐怖の極致に追いつめたに違いない。
その余韻は、たぎるような興奮となってこの男の肉体に熱く残っている。
手に触れる、その驚くほど正直な男の身体の変化を確認しながら、有利子は内心うなずいていた。
やっぱり、思ったとおりだったわ………。
今日の東京外国為替市場について、おおまかな値動きぐらいは、銀座支店にいてもモニターを見ていればわからなくはない。
だが、そのまっただなかで、実際に取引を続けるトレーダーとして、市場のうねりに操まれたこの坂上から伝わってくる迫力ほど、確かな実感は得られない。
だから今日の相場には手を出すなと、今朝早くに客を止めたのだ。
もし止めなかったらどうなっていたことやら。
自分の予測は、またもみごとに的中した。
有利子は心から満足だった。

本文P.6,7より引用

 
 

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