生きる
著者

乙川優三郎

出版社
文藝春秋 
定価
本体価格 1286円+税
第一刷発行
2002/01/30
ISBN4-16-320680-9
直木賞受賞作 感動の時代小説三篇

藩衰亡を防ぐため、家老から追腹を禁ぜられた又右衛門。跡取りの切腹、身内や家中の非難の中、ただひたすらに生きた十二年を問う

「近頃は連作短篇集が増えて、純然たる短篇集が少なくなりましたね」
 と語る乙川さんは、まだシリーズものを書いたことがない。自分はまだ未熟で、書き出す勇気が持てないのだという。しかしその誠実な執筆姿勢が着実に読者の心を掴み、『五年の梅』(短篇集)で本年度の山本周五郎賞を受賞した。
 本作は表題作をはじめ「安穏河原」「早梅記」という百枚前後の中篇三本で構成されている。犠牲を強いられた主人公たちが、生きるとは何かを自らに問いつづける姿に胸を打たれる。(OK)

≪ インタビュー 文藝春秋HPへリンク ≫

(重五には間に合うだろう……)
それ以上眺めていると胸の中の小波が荒れるような気がして、又右衛門はゆっくりと立ち上がった。
空が低く、はっきりとしない天気の朝で、うそ寒い庭には初夏の日差しも感じられなかった。泉水の水辺には今年も菖蒲が群生し、細長い花茎を伸ばしているが、まだその先に紫の花は見えない。
例年になく冬が長引き、その後も春らしい目が少なかったせいで菖蒲は十日余り育ちが遅れている。
花のことはよく分からぬ又右衛門だが、久しく浪人だった父がようやく北国の地で仕官を果たしたのが五月五日だったことから、菖蒲には深い印象とともに執着を覚えた。
一瞬にして身の丈を超す籠を飛び越えたかのように、その日から貧困と縁が切れたためかも知れない。
(これで人並みに暮らせる……)
当時の又右衛門は小四郎といって十三歳だったが、関ヶ原の戦いで敗軍となり、浪人となった父が再び食禄を得た喜びと安堵は、それまで暗濾たる思いで生きてきた少年の感想でもあった。
以来、石田家では菖蒲を家の花として庭に植え、屋敷が替わる度に広くなる庭に移植してきた。
果たして菖蒲は幸運をもたらし、石田家はいまでは十一万石の御家に仕える馬廻組五百石の家柄となった。
その間には父母が亡くなり、又右衛門も我が子をひとり病で亡くしたものの、その後の人生はほぼ順風満帆にきたと言っていい。
父の死と前後して望んでいた小姓組に召されたのも、ことのほか寵遇されてきたのも、やはり菖蒲のお蔭であったような気がする。
父にしても、新参の家臣が古参、譜代を牛芽抜きにしながら怨嗟の的にならずに済んだのはただの幸運ではないだろう。
人が人を利害で動かす力とは別の、何か不思議な力が働いたのではないか。
それが菖蒲の力のように又右衛門には思われてならない。
古来、菖蒲は邪気を払うという。
ともあれ、そうして石田家へ幸運を運び続けた菖蒲は、七年前に他家へ嫁した娘に男子が生まれると婚家へも届けられるようになった。
それを理由に堂々と孫の顔を見にゆくのが、五十路を
迎えた又右衛門の楽しみでもある。
だが今年は六日の菖蒲になりかねないと思いながら、又右衛門は溜息をついた。
いつかは幸運も尽きる日がくると覚悟はしてきたつもりだが、いざ菖蒲の異変を見ると不吉な予感がしたのである。
ひとつにはここ二年ほど江戸で病臥している藩主の容態が思わしくないこともある。
今年で六十二歳になる飛騨守は又右衛門の父を召し抱え、その子の又右衛門も重く用いた人で、いまの石
田家があるのは偏に飛騨守の恩顧によるものと言っても過言ではない。
むろん、その恩に報いるために又右衛門は忠勤を励んできた。
それがさらなる加増を生んで家を大きくすることにもなった。
だが、それだけに飛騨守が身罷ったときには、寵臣のひとりとして忠義と悲しみを形で表わさねばならぬだろうと又右衛門は思っている。
そもそも飛騨守に拾われなければ一家は野垂れ死にしていたかも知れぬし、三十七年もの間、平穏にしかも豊かに暮らせただけでもありがたく思わなければならない。
その日はいずれ必ず来るのだし、早いか遅いかの違いだけだろう。
けれども健康な身でありながら妻子を残して死ぬとなると、心残りがないわけではなかった。
又右衛門には五百次という息子がいる。
この年、十五歳になる、ただひとりの跡取りである。
長男が五歳で病死した年に生まれた子で、ひときわ愛情をそそいだせいか闊達にはなったものの、反面、竹のようにまっすぐな気性の、つまりは折れることを知らぬ生真面目な男になってしまった。
いまはそれでもいいが、いずれ城勤めとなったときに何かと周囲と操めるのではないか。
又右衛門はほぼ固まってしまった五百次の気性を考え、元服と同時にしばらく江戸へ遊学させるつもりでいたが、自分が死んだらそれもならぬだろうと考えている。
妻女の佐和がこのところ病がちなこともあるし、そのときは五百次にはまず無事に遺知を継ぎ、当主の責任を果たしてもらわなければならない。
だが、いまの五百次に家では奉公人の上に立ち、城では大勢の人の下になることができるだろうか。

 
 

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