エミリーへの手紙
著者

キャムロン・ライト

出版社
NHK出版
定価
本体価格 1300円+税
第一刷発行
2002/06/25
ISBN4-14-005390-9
死んだ おじいちゃんが言いたかったこと

エミリーは無口なおじいちゃんが大好きだった。そんなおじいちゃんが死んだ。一冊の詩集を残して。詩の一つ一つには謎があった。エミリーへの手紙を開封するためのパスワードが隠されていたのだ。頑固なひとりの老人が、残していく者たちに伝えたかった人生の真実とはいったい何なのか? 感動の波が押し寄せる。


「ママ、はやく、はやく! はやくしないとおじいちゃんと遊べなくなっちゃう!」毎週金曜日は、ひとり暮らしの祖父ハリーを7歳の孫娘エミリーが訪ねることになっていた。ハリーとエミリーは大の仲良しだ。ふたりはよく、ハリーのお気に入りのポーチでチェッカーをした。エミリーのような幼い女の子が、気まぐれでだれにも心を開こうとしない老人と、どうしてこんなに気が合うのだろうかといぶかりながらも、母親のローラは目を細めてふたりのようすをそっとうかがっていた。

 

キャムロン・ライト

アメリカ、ソルトレークシティ
近郊在住
1996年に亡くなった祖父が家族に遺した詩集をヒントに『エミリーへの手紙』の執筆を思い立ち、自費出版をする。口コミで広がってたちまちユタ州のベストセラーになり、2002年PocketBooksより全国発売された。
アメリカ中から読者の感動のメールが続々と寄せられている。現在次作を執筆中。

日本の読者のみなさまへ
『エミリーへの手紙』は小説ですが、90歳まで生きた私の祖父の人生と詩に発想を得たものです。85歳になるまで、彼はじつに魅力的な人物で、祖父として理想的な人でした。しかし、歳を重ねるにつれいくつかの抑鬱的な症状があらわれ、晩年の彼は衰えを隠せませんでした。
 彼は生涯にわたって詩を書きつづけました。そして生前、それらを一冊の詩集にまとめて子どもや孫たちに贈りました。彼の死後、それを読みながら私は思ったのです。85年間に渡って人々に愛され、温厚な人物であった祖父が、最後のたった5年間の怒れる老人として記憶されてしまうのは悲しすぎると。私が『エミリーの手紙』を書こうと思ったのはそんなわけです。
 これは、許しと希望と家族の結びつきについての本です。しかし、ただ自分の家族を記憶にとどめたり、老いた人びとの智恵をありがたがることだけではなく、自分自身の尊厳を次の世代の人びとに残していくことの大切さも読み取ってもらえたらと思っています。
 私の言葉が日本語に翻訳されて、みなさんとこの気持ちを分け合うことができて、幸せです。
 みなさんがご自身の人生に平和と希望を見出されることを願って――

オフィシャル HPより引用

第1章

ベッドは冷たくて部屋は暗い。
毛布を何枚かけたところでウォサッチの凍てつく風は骨にまで吹き込んでくる。
窓に目をやると雪に覆われた庭が見える。
この庭とももうお別れだ。
人参が小指の爪ほどの芽を出すのも見られなくなる。
春の終わりに蕪がやせていくのももう見ることはない。秋に新じゃがを掘り起こすこともない。ズッキー二を何かごも摘み取って、料理のしかたも知らない近所の連中にいきなり持っていって驚かすことも、もうない。
それに、冬が来て、草木が茶色く色づいて死んでいく姿ももう見られない。
生あるものはすべて死ぬ運命にあるのだと、私はこの庭から教わった。何十年もそれを見つめてきた。
できることならあと何回か、エミリーとこの庭で夏を過ごしたかった。
孫はほかにもいる。えこひいきするつもりはないが、ほかの孫たちは遠くにいるからめったに会いにきてくれない。
エミリーは毎週金曜日に母親といっしょにやってくる。七十以上も歳が離れているけれど、工三リーと私は親友だ。
私の名前はハリー。
若いころからすっかり禿げている、ぜんぜんふさふさじゃない男がハリーだなんて、笑える。だが、髪があろうがなかろうが、それが私の名前だ。
おやじの名前もハリーだったし、そのまたおやじもハリーだった。
息子にも同じ名前をつけた、と言いたいところだが。残念ながらそうではない。
息子が生まれていざ名前をつける段になったら、ハリーではなくボブにしてしまった。
息子はほとんど訪ねてこない。
こうなると、やはりハリーにしておけばよかったという気もする。
不思議なことに、今この身に起こっていることを、恨めしいとは思わない。
だって、そうじゃないか?
私はほかの人とくらべてとくにすばらしい人間というわけじゃない。
知識も、腕力も、頭の回転も、人並みだ(いや、隣に住んでいるロスじいさんにくらべれぱ頭の回転は速い。が、ここでそんな話をしたって始まらない)。
だから、どうして恨めしく思う必要がある?
できることなら早く逝ってしまいたい。
そうすれば、今のままのハリーおじいちゃんを覚えていてもらえる。
おかしくなってからの姿ではなくて。
頭のいかれた困った老人と記憶されるのはごめんだ。そう考えただけでぞっとする。
実際、私の頭はおかしくなり始めている。アルツハイマーだ脳の神経細胞をじわじわと退化させていく陰険な病気。
こいつが暴れだすと、脳が縮んで衰えていく空洞ができて、わけのわからない混乱が生じる。
治療法はないし、進行を遅らせる手立てもない。
この病気は泥棒だ。
最初はほんのときたま、少しずつ奪っていくだけだが、最後にはなにもかもを盗み取る。
好きな色も、好きな食べ物の匂いも、ファーストキスの夜も、ゴルフヘの愛着も、なにもかも。
春の雨はきらめく飛沫となって降り注ぎ、地表を清めて生命の息吹をよみがえらせてくれるものだったのに、それもただの雨となる。
冬が来て最初の吹雪が通り過ぎると、降り積もった雪は地面をふんわりと包み込んでいたはずだったのに、それもただ寒々しいだけとなる。
心臓は鼓動し、肺は空気を吸い込み、目はものの形をとらえるけれども、中身は死んでいる。
中にあるはずの精神が抜け落ちている。陰険な病気と言ったが、それはこいつが最後には人の存在そのものまで奪うからだ一魂までも。
最後にはきっとエミリーのことも忘れてしまう。
病気はまだ初期のはずだが、すでにみんなに笑われるようになってきた。
笑われてもしかたない。
あまりにも愚かなことをするから自分でも笑いたくなる。二日前、私は前庭のアプローチで小便をした。
我慢できなくて、あのときにはあそこでするのがいちばんいいと思われたから。
一週間前、真夜中に目が覚めて台所へ行き、流しの下にしまってあった食器用洗剤でうがいをしようとした。
自分では洗面所にいるつもりだったし、あの緑色の液体はうがい用のと同じ色だったから。
神経が張りつめる。怖くなって、私は泣く。
赤ん坊のように、なんでもないことで泣く。これまで泣いたことなどほとんどなかったのに。
今ならまだはっきりとものを考えることができる。
けれども、そういうまともな時間は日々薄れていく
ような気がする。自分が存在している時間が短くなっていく。
まともな時間は一日に一、二時間しかないが、そのあいだは机に向かって、パソコンのキーボードをがむしゃらに叩く。
古いパソコンだが、充分に用は足りる。
これまでボブがくれた中では最高のプレゼントだ。
じつに驚嘆すべき機械だ。
使うたびに不思議に思う、どうして私の言葉を記憶していくのだろう。
生まれたときから身の回りにコンピュータがあるのをあたりまえのようにして育った世代には、真のすごさがわからないだろう。
魔法の機械だ。
うまくはないが、物語や詩を書くのが好きで、これまでずっと書いてきた。(本文P.5〜7より引用)

 
 

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