最後の首相 石原慎太郎が日本を救う日
著者

前野徹

出版社
扶桑社
定価
本体価格 1429円+税
第一刷発行
2002/05/30
ISBN4−594−03550−7
石原慎太郎が日本を救う日

「第四の国難」に続いて贈る、日本の未来を提示する希望の書
大好評「第四の国難」に続いて、゛石原慎太郎をもっともよく知る゛著者が送る渾身の書下ろし。小泉―構造改革―内閣の破綻がいよいよ迫りつつある現在、日本が打てる゛最後の一手狽とは、現・東京都知事の石原慎太郎が、国政に凱旋することしかない。戦後政治の誤謬を正し、日本の未来を提示する希望の書!

 

前野徹(まえのとおる)
1926年生まれ。日本大学卒業後、読売新聞、東京新聞社を経て、60年東急グループ総帥の五島昇氏に東京急行電鉄の秘書課長としてスカウトされ、五島氏の懐刀として政界、財界、マスコミなどの対外折衝役として活躍する。70年東急エージェンシー常務、専務、副社長を歴任し81年より11年にわたり社長として業界13位から電通、博報堂につぐ3位に躍進させる。95年アジア経済人の大同団結を目指した経済団体、アジア経済人懇話会を設立。現在、同会長ほか高根グループ会長、(社)ニュービジネス協議会顧問などを務める。各分野の勉強会の提唱者として若手起業家から創業経営者まで多くの集まりを主宰する。著書に『他人の良さ、自分の良さの活かし方』(かんき出版)『戦後歴史の真実』(経済界)『目ざめよ、日本』(サンラ出版)『第四の国難』(扶桑社)がある。

 

走馬灯のように甦った四十年前の光景

「あの塗炭の苦しみは二度と味わいたくはない。日本がある限り、シベリア抑留というあのソ連の蛮行を許してはならない。でなければ、涙すら凍る、酷寒のシベリアで亡くなった日本人の魂は救われない」
「本当はシベリアのことはもう話したくないのだが」と躊路しつつも、若き日の私や石原慎太郎さん、浅利慶太さんを前に、しみじみと語られたのはシベリアの収容所に抑留されていた作曲家・吉田正さんでした。
「そうだ。シベリア抑留にしろ、原爆にしろ、戦勝国の非道は何百年経とうが許せないし、東京裁判で日本は侵略国にされてしまったけれど、この汚名を払拭するまではわれわれも死に切れない」と応じたのは、戦時中は鹿児島県鹿屋の特攻隊にいた経歴を持つ歴史小説の大家・山岡荘八さんでした。
今(二〇〇二年)年一月、劇団四季のミュージカル「異国の丘」を観ながら、四十年近く前の光景がまるで昨日のことのようにはっきりと甦ってきました。
昭和三十年代から四十年代にかけて、
銀座を代表するクラブ、「エスポワール」で先輩たちが熱く語っていた一言、一言が。
エスポワールには、財界人を中心に政界、官界、マスコミ界、文化界など左翼系を除く戦後の日本を代表する錚々たる指導者、識者が毎夜、集っていました。
戦後の財界の重鎮・永野重雄さん(新日本製鐵会長、日本商工会議所会頭)、今里広記さん(日本精工社長)、鹿内信隆さん(ニッポン放送社長、フジサンケイグループ代表)、東急グループ総帥・五島昇さん……。
政界の若手有望株であった「青年将校」、中曽根康弘さんや将棋の升田幸三さん、作曲家の吉田正さん、文壇では山岡荘八さん、今東光さんも常連でした。
当時は、まだ日本が独立国に復帰したばかりで、アメリカの強い影響下にあり、アメリカの占領政策やソ連のシベリア抑留など戦勝国に関する公の場での批判は樺られた時代です。
エスポワールはいわば、その時代の日本の指導的役割を果たしていた識者が本音を語り、意見交換を行え
る唯一の社交場で、夜な夜な喧々鴛々の議論が繰り広げられていました。
その頃、五島昇さんの無任所秘書をしていた私や文壇にデビューしたばかりの若き芥川賞作家の石原さん、演劇界の若手であった浅利さんは末席で先輩方の熱のこもった議論に耳を傾けたものです。
エスポワールに集っていた人々はみな南方戦線や中国、満州で戦って引き揚げてきた、あるいは吉田正さんのようについ最近までシベリアに抑留されていたといった生々しい体験の持ち主ばかりです。
その議論や意見は、先の戦争の意味、日本人の精神のあり方など日本の歴史と伝統の本質に深く迫る内容で、憂国の想いにあふれていました。(本文P.10、11より引用)

 

 

 

   

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