ひとが否定されないルール  妹ソマにのこしたい世界
著者
日木流奈
出版社
講談社
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2002/05/07
ISBN4−06−211312−0
NHKスペシャルで大反響.「奇跡の詩人」で放映!! 脳障害・天才少年の魂の記

内容紹介
NHKスペシャル「奇跡の詩人」で放映!!
脳障害・天才少年の魂の記

12歳でこんなことが本当にある!?歩くことも話すこともできない重度の障害者の驚くべき感性と知性。想像を越える「人間の無限の可能性」と、常識にとらわれない「生きることの哲学」に感動!!

 

 

私はいきなり大人たちが使う言葉をしゃべったのではありません。私の言葉が出る前の数年間、私は毎日新しい言葉をインプットされ続けていました。ドーマン法のプログラムにより、単語カードを約3000枚、二語文、三語文カードも約3000枚、親たちが作った手作り本は約1000冊、そして、百科事典的知識を教わるための“ビッツカード”は1万枚見ていたのです。主に父が夜なべをして作ってくれた、愛情豊かな教材たちです。また、その“ビッツカード”は、それがどのようなものであるか、深く掘りさげていくためにも使われました。私は学習することがとても楽しく、どんどんどんどん学び続けました。本当にわずかな時間しか学ぶことはできませんでしたが、私には心の泉となりえたのです。――(本文より抜粋)

私は条件をつけずに愛されました。このまんまの私を受け入れてもらえました。脳障害であることは大変ではあるけれど、私の存在を否定する材料にはなりえませんでした。
そして、そこから始められた私は、それ以後もだれかと比較されたことはなく、テストされたこともなく、きのうの自分よりあしたの自分が優秀になっていればいいという思想のもと、育てられました。
私は常に成功者でした、私自身において。だれかと比べてでは決してなかったのです。私は私自身でありさえすればよかったのです。――(本文より抜粋)


著者紹介
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■日木流奈(ひきるな)
1990年2月11日、横浜市に生まれる。極小未熟児(1480グラム)、先天性腹壁破裂の状態だった。直後の3度の手術のストレスにより脳にたまった水が脳を圧迫し、脳障害となる。新生児けいれん、点頭癲癇の発作が出る。91年、抗けいれん剤の副作用で白内障となり、両眼の水晶体を摘出。92年、ドーマン法のプログラムを開始する。94年、グレン・ドーマン博士の人間能力開発研究所の診察を受ける。95年、文字盤によるFC(ファシリテイテッド・コミュニケーション)で、他者との意志の疎通が可能となる。98年、自伝・詩集を手作り本『想ふ月』として自費出版。その後、その本を加筆補正して『はじめてのことば』(大和出版)を上梓する。
著書には、『月のメッセージ』『月のおくりもの』『ひらけ扉』『月のつぶやき』『流奈詩集』(以上、大和出版)などがある。

 


知性の低い脳障害児はいない

なぜ、脳障害児に

私はもうすぐ一二歳になる脳障害の男の子です。
生まれてすぐに、おなかの腸が出ていたために、三度の手術をしました。
そのストレスで、頭に水がたまり、脳障害になったようです。
そのため、癲癇の発作や、カゼなどですぐに入院する生活をしていました。
目は、白内障のため、水晶体をとらなければならず、現在、コンタクトレンズかメガネをして視力を補っています。
体はいまだにコントロールが利かず、腹這いが少しできる程度です。
言葉としてお話しする声を出すこともできません。
私は話しているつもりなのですが、人のわかる言葉にならないのです。


ドーマン法との出会い

私は、生理的に苦しい時代を経験したあとに、ある画期的なリハビリプログラムに出会い、以前よりも元気な体と、言葉を獲得することができました。
ドーマン法と呼ばれるそのプログラムは、母が書店で見つけてきたものです。
順番としては、まずドーマン博士たちの著書によって、ある程度、やれることがわかります。(二八頁参照)
次に、講義を受けて、深い内容のリハビリの方法と理論を親が学びます。
さらに、個人で診察を受けて、その子その子に合ったプログラムが処方される、”集中プログラム”というものがあります。
私は三歳になる少し前から、少しずつこのプログラムを始めました。
そのおかげで、私は何年も飲んでいた抗癲癇剤を飲まずに発作が出なくなる体を手に入れました。
今でも少し無理をすると軽い発作がありますが、以前の比ではありません。
呼吸が改善されたために、発作が減ったのです。
私はこのドーマン法によってたくさんの恵みをもたらされました。
ドーマン法には“生理面”“知性面”“運動面”のプログラムがあり、私の一日はほとんどを運動プログラムが占めています。
“生理面”は、呼吸を良くするために、二酸化炭素を酸素と混ぜて吸うものとか、胸を規則的に締めつけて呼吸を深くするものとか、食事を改善して、血液に行く酸素の量を増やすとか、様々なことがなされました。(七七頁参照)
“運動面”は、傾斜を使って、腹這いが楽にできるようにしたり、バネを使って宇宙飛行士のように歩行したり、これも様々なことがなされました。
半年ごとに処方が変わるプログラムは毎回、一日二十四時間では足りないくらいでした。
そして、“知性面”において、私は文字というものを教わったのです。
単語から始まり、二語文、三語文となり、それに絵や写真を加えた数ぺージの手作りの本に至り、最後には市販の本が読めるまでになりました。
初め、私は字が小さいと読むのが難しかったので、私が楽に読めるように、字の大きさは大きいものから小さいものへと少しずつ移行していきました。
そして、最後には市販の本が読めるまでになりました。
たくさんの言語を学び、数学や科学の本を読み、絵画をめでて、私は日々を過ごしました。(二一頁参照)
私は学ぶことがとても楽しく、こういったことを嫌うにはどうしたらよいかわからないほどでした。
ところが、現実の世界では、学ぶことがとても大変なことのように語られているのを見て、世の中では何かおかしなことが起きているのではないかと思うようになりました。本文P.12,13より引用

 

 

 

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