はじめに
今日二〇〇二年二月一日、思いきって十五年連れ添ったCDプレーヤーとさよならしました。
たまに新機種の試聴はしてはいたものの、音がよくてコンパクトでシンプルなタイプのものに出会えずに
気が付くと十五年も使っていたわけです。
二年前までゼモン治療院を開業していた高田馬場のワンルームマンションがとても狭かったこともあり、いつでも引っ越せる気軽さ、いつでも状況の変化に対
応出来る身軽さが、当時の自分にとっては大切でした。
それがコンパクトにしていた理由です。
あまりにも気楽にはじめたためか、結局十三年も高田馬場でゼモンをやっていました。
これまで使っていたプレーヤーもとっても音のいいヤツでした。
しかし一昨年ゼモンを代々木に移してからは、フロアが六十平米に広がったために音量が足りなくなってしまい、買い換えを急ぎはじめたのです。
実際、最近のデジタル録音のものや古い音源をCD−Rで焼いたものなど、古いプレーヤーでは再生できないCDが増えはじめ少々困っていました。
そこで、北欧のメーカ】(B&0)で以前からマークしていたものを購入した訳です。
お気に入りのCDをかたっぱしから再生してみると、今まで聞こえてこなかった音やリズムがいっぱい鳴っているではありませんかーその音の違いにはっとしました。
この出来事は驚異的でした。
気に入っていたプレーヤーに対する未練が次の瞬間、僕のなかから消滅し、お気に入りCDを次々に聞きまくってしまいました。
これまでこのからだ一本で生きてきたけれど、気づけなかったことや、感じられなかったことなど、いかに拾いきれていないものが多いことか!?
僕のこころとからだの記憶装置もぼつぼつリニューア
ルしなくては!
CDプレーヤーで驚いている僕自身の『かわいいからだ』への道のりはまだまだ遠そうです。
なにしろ自己を認識するための記憶装置である「自分のこころ」がどうもあやしい。
そこで昨年は『かわいいこころ」に挑戦してみたのです。
男と女のからだの対話『からだのひみつ』からはや一年。
そしてまた田ロランディさんとの対話を本にする機会に恵まれました。
テーマは「こころ」。
まずは自分の中にある見えない「こころ」を探ってみる。
これなくしては「からだ」も「かわいい」も、何もはじまりません。
寺門琢己
あとがき
私は二十代のころ、心理学にハマっていた。
心理療法なんぞを勉強して「心」のことばっかり考えてきた。
まるで重箱の隅を突っつくように、人間の心とはどういうものか、どうしたら心の問題を解決できるのか悩み、他人の心にまでおせっかいを焼き、心の本を片っ端から読み、心と対決してきた。
唯一、心について考えることが一番楽しかった。
なぜ心について考えるのが楽しかったのかな。
その当時の私の関心事は、私ではなく、私の周りの人間についてであった。
私の悩みは、私のダメな家族についてであり、私を評価しない上司についてであり、心がすれ違う友達についてであった。
私はいつも私以外の誰かから、なんだか迷惑をこうむっていて、ちょっと憂欝な気分になってしまうのだ。
だから、どうして私の周りの人間は、みんな私と折りあいが悪いのかについて考えていて、それは「心」の問題だと思い、「心」を学んでいたのだ。
そして「他人の話を受け入れて聞く」とか、「自分の過去のトラウマを知る」とか、いろんなことを覚えて、そのたびに、なるほどと思った。
そういうことが、ムダだったとは思っていない。
だけど、やっぱり今は、なんか違ってたな、と思っている。
どういうわけか、四十を過ぎてからは「心」のことはあまり考えなくなった。
少なくとも、自分の「心」は、もういいか、って思った。なんていうかなあ。
あんまりいじくりまわさずに、ほっとこう……という感じ。
愛した人も、憎んだ人も、たくさん死んだからね。
けっこうたくさんの人の死を、短い間に経験してしまったので、しょせん皆、死ぬのだなあ……と思うと、許せないということがなくなったんだ。
好きな男にフラれても、裏切られても、酔った親から理不尽に罵倒されても、見知らぬ相手からなじられても、ま、いっか、と思うようになった。
腹たつし、悲しいけどね。でも、許せない、って思うことはなくなった。そしたら「心」なんてどうでもよくなって、あんまり興味なくなっちゃった。
だから、「心なんかない、心は臓器だ」っていう寺門先生との対談は、とっても楽しかった。
人は心だけで生きるにあらず、だ。
もちろん、これはあくまで私のことだ。
他の人はどうか知らない。
人はみんなそれぞれの「業」を背負って人生を生きている。
吐き気をもよおす現実を生き、地獄の業火を浴び、憎しみに身を焼いて、悶え苦しんでいる人もいるかもしれない。
なにしろ力量のある人に、神様は過酷を強いる。
そういう人が、あるとき「ま、いっか」と笑うようになったら、どんな慈愛が世界に満ちるのだろう。
思っただけでぞくぞくする。
そういうことは、この世界のあちこちで、日常茶飯事に起こってる。
すごいな、人間って。
ちまちました「心」なんかぶっ飛ばして、いきなりマリア様になってしまう。
だから、まだ、世界は破滅していない。
田ロランディ
本文 はじめに あとがき から引用
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