銅像めぐり旅
著者
清水義範
出版社
祥伝社
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2002/04/20
ISBN4−396−63203−7
ここに建つ人、建てる理由

人気小説家が自分で歩いて考えた
街のたたずまいと銅像の主の深い関係…
ここに建つ人
建てる理由

 

 

 

伊達政宗【仙台】 世界に視野を持つ男が築いた東北一の巨大都市とは…。
坂本龍馬【高知】 黒潮の街は銅像ばかり、土佐は偉人の土地だった。
織田信長【岐阜、安土】 戦国の傑物、都市計画者としての顔を探る。
ヘボン【横浜】 文明開化の偉人を追うとハマの成り立ちが見えてきた。
前田利家【金沢】 百万石三代の銅像はなぜ、別々の場所に建つのか?
武田信玄【甲府】 京へ進出できずに死んだ武将が尊敬された深い理由。
平 清盛【神戸】 復興する港町は、古(いにし)えより海外交易の要衝だった。
太田導灌【東京】 関東周辺に八つの像が建つ人気はどこから来たか?
西郷隆盛【鹿児島】 反逆者として滅びた郷土の英雄への複雑な思い。
ティムール【サマルカンド】 オアシスタウンに建つド迫力の英雄像

 


旅をしていて、思いがけなく銅像に出くわすことがある。あれは面白いものだ。
道端でばったりと歴史上の人物に会ったような気がする。
銅像には、有名なものもある。
そこへ行ったらその銅像を見物することが外せない、というような。
たとえば高知の桂浜に行ったら坂本龍馬(35ページ)の像を見るものでしょう。鹿児島では軍服姿の西郷隆盛(珊ぺージ)を見る。
ところが、当方が無知だからだが、なんでここにこの人の像なんだろう、と不思議に思うようなこともある。
あわてて説明の看板を読んで、あの人はここ出身だったのか、なんてことを知って少し得をした気分になる。
それどころか、まるっきり知らない人で、説明を読んでもまだよくわからない人の像なんてのも、結構ある。
いったいどういう入の像だったのかついにわからずじまい、とか。
しかし、有名であれ無名であれ、そういう人がいたことは確かだ。
だからこそ銅像になっているんだから。
銅像ウォッチソグは、旅で訪れたその地をいくらか理解することにつながり、地理と歴史の交叉点を見ることでもある。それから、銅像にまつわる勘違いや、誤った思いこみなんかもあって楽しい。
ずいぶん昔のことだが、高知城を見物していたら、その庭に板垣退助の銅像があった。
晩年の、洋服姿ですっくと立っている像である。
それを見ていたら、別の観光客が寄ってきた。
三十代の若い母と、小学一年生ぐらいの女の子だった。
そのお母さんは説明を読んでそれが誰の像かを知ると、幼い子にこう教えていた。
「この人はね、『青年よ、大志を抱け』という名言を残した人よ」
それは札幌農学校で教頭を務めたクラーク博士の名言で、その人の像は札幌の北海道大学構内と、羊が丘展望台にある。
羊が丘展望台の像は右手をさしのばした立像で、なかなか格好がいい。
板垣退助の名言は、遊説中に刺客に襲われた時に言ったという「板垣死すとも自由は死せず」
である。
ただし、その時死んだわけではないので勘違いしないように。
怪我しただけですんだのだ。
というわけで、クラーク博士と板垣退助とは大違いなのだが、実は銅像が似ていなくもない。
どちらも鼻の下に立派な髭をたくわえていて、右手をあげていて、スラリとした体つきである。
私としては、あれま、と思いながら、どうすることもでぎなかった。
見ず知らずの人に、もしもし、それは違っていますよ、と話しかけるのも変だから。
そういうことば往々にしてある。
靖国神杜で大村益次郎の像を見て、西郷さんの弟だよ、なんて言っている爺さんもいた。
ああいう人は私をイライラさせようと、からかっているのだろうか。
その点、トルコは混乱することがない。私はトルコ各地を観光したことがあるのだが、そのいろんな町で銅像を見た。それでもって、そのすべてが建国の父、ケマル・アタチュルクの像だった。
どこにあろうが、とにかく銅像があったら、もれなくアタチュルクなのだ。
トルコの紙幣には、五万リラ札も十万リラ札も五十万リラ札も百万リラ札も五百万リラ札もすべて、アタチュルクの肖像が描かれている。
どうしてですか、とガイドにきいたら、次のような
答だった。
「偉人が一人しかいないから」
それは半分ジョークであろう。
トルコはイスラム教の国で、イスラム教では偶像崇拝を禁じているから、宗教的偉人の像がないわけだ。
二十世紀になってトルコ共和国になったので、オスマ
ソ・トルコ時代のスルタソの像もなくなった。
それで、アタチュルクだらけなのだろう。
そんなわけで、トルコでは銅像の入違いをする心配がないのだが、思いがけない出会いをする楽しみがない。
やっぱり日本のように、いろんな入がぞろぞろ出てくるほうが面白い。
街ごとに、ゆかりの人の銅像があって、この街の特徴は、この街を造ったこの人の人間性から生まれているのかもしれないな、なんて考えるのにはゲーム的楽しさがある。
そこで私はあるアイデアを思いついた。

本文 P.9〜11より引用

 

 

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