先人たちの知恵袋
著者
群ようこ
出版社
清流出版
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2002/03/06
ISBN4−86029−007−0
”ことわざ”は、先人たちの知恵袋!

恋愛には向き、不向きがあるらしい」――【女、賢(さか)しうして牛売り損なう】、「衰えは神様からの贈り物」――【灯台もと暗し】、「脳は私を甘やかし、体は警告してくれる」――【腹八分に医者いらず】……。人気のエッセイスト・群ようこが、自らの人生を振り返ってみたら、先人たちの有り難い“お言葉”の数々に突き当たった。本書には、浪費家のご母堂、趣味に走る弟をはじめ、ユニークな友人たちや群さんの相棒の猫などが次々と登場。彼らは、群さんを悩ませ、笑わせ、呆れさせ、また、群さんの力ともなっている。月刊『清流』の2年間の連載に、本書のための書き下ろしも収録。群ようこファン必読の「ことわざエッセイ」。

 

 

男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く

我が母に咲いた巨大な花

私の母は四十三歳のときに離婚をして、女やもめになった。
愛情があっても別れなくてはならない死別とは違い、「別れたかったのが、やっと別れられました」
という状態だったので、花の咲き具合にはものすごいものがあった。
当時私は二十歳だったのだが、離婚するかしないかで操めていたときの母は、表情も冴えず身なりにもかまわず、セミロングの髪の毛をただ後ろでまとめて、ほつれ髪も気にせずに、いつも深刻に何かを考えていた。
こちらも彼女の心情は察知しているから、きついことはいえずに黙っていたのだが、彼女の姿は日本昔話に出てくる、「山んば」のようだった。
ぼろぼろの着物を着て、山奥の木の上にひそんでいる山んばは、こういう雰囲気なのではないかと、私は我が母の姿をじとーっと観察していたのであった。
離婚が成立したら、働かなくてはならない。
母の女性の友人が管理をしていた、地方の会社の東京宿泊施設で雇ってくれることになり、履歴書に貼付するスピード写真を撮影してきた。
母は家に帰るなり、「おねえちゃん、とんでもないことになっていた」
と真顔でいった。
「どうしたの」
彼女は黙って三枚一綴りになった写真を差し出した。
そこには山んばどころか、髪の毛がぼうぼうで目つきもとろんとしている、地獄に堕ちた亡者みたいな母が、むっとした顔で写っていたのである。
私と弟はそれを見て、腹を抱えて笑ってしまった。
親類にも誰にも見せられない、うちの家系で末代まで隠匿しなければならない代物ができてしまったのである。
「私って、ずっとこんなんだった?」
母は聞いた。
それまで見たことがないくらい真剣な顔だった。
「ここまでひどくはないけど、山んばクラスだった」
というと、彼女は、
「自分の顔は毎日見ているから、わかんなかったのよねえ。これはひどいわ。あー、びっくり」
もちろんその忌まわしい写真は破棄し、母はぱたぱたと顔に粉をはたき、口紅もつけ、長い間、行かなかった美容院にも行き、何とか履歴書に貼る写真は準備できたのである。
その後、調理師の資格も取り、フルタイムで働くようになった。
ここで母に狂ったように花が咲きはじめた。
たしかに外に出て働くようになってから、私から見ても母はとってもきれいになった。
きれいになったといっても、もとが山本富士子とか、八千草薫ではないので限度があるが、母の顔面の限界点ぎりぎりの美人度だったと思う。
あの山んばや地獄の亡者と同一人物とは思えないくらいの、変身ぶりだった。
そんな母にやもめの男性たちが、わんわん集まるようになったのである。
私はそのうちの二人に会ったことがある。
いちばん最初に会ったのは、中学生の女の子を持つ、喫茶店の経営者だった。
娘さんが母にとてもなついていて、相手は結婚する気だったのに、母はそれほどでもなかった。
それでも、
「結婚しようっていわれちゃったあ」
などとはしゃぎ、この間、彼が泊まっていったという衝撃の告白までする始末だった。
就職をして彼氏などできないくらい仕事が激務だった私は、うれしそうにしている母を見て、
「あーそー」
と気乗りのない返事をした。
だいたいこういう会話は、女友だちとならあるかもしれないが、まさか自分の母親とこんな話をしなければならなくなるとは、想像もしていなかった。
「どうしようかしらん」
母はもう目の中に星が入ってしまい、体が畳から三十センチ浮いているかのようであった。
せっかく自分の子供が二人とも成人したのに、これから中学生の子供を一人前にするには、また気苦労をしなければならない。
それよりもあとの人生を、自分のやりたいことをやって、気楽に過ごしたほうがいいんじゃないかと私はいった。
すると母は、「そうよねえ。そうするわ」
といってきっぱりとプロポーズは断った。
もちろん友だちとして付き合うのはかまわないといったのだが、相手とはそれっきり音信不通になった。
どうやら次の相手を見つけるべく、娘を連れて行動を開始したらしいのであった。
次に会った人は、のっけから私の目の前に現れた。
ちょうどそのときに一人暮らしのアパートの引っ越しをしようとしていたのだが、そこに母と現れたのである。

 

 

 

 

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