人魚とミノタウロス
著者
氷川透
出版社
講談社NOVELS/講談社
定価
本体価格 800円+税
第一刷発行
2002/02/05
ISBN4−06−182207−1
病院を焼く業火に壮絶な推理がスパークする!

病院を焼く業火に凄絶な推理がスパークする!
人はみな壊れてる?“境界線”を問う本格!

病院内の面接室で身元もわからないほど焼け爛(ただ)れた死体が発見された。人の出入りが明瞭な現場からなぜ出火したのか。その直後にも警察が取り囲む敷地内から新たな業火が。目まぐるしい展開を上回る速度で推理小説家志望の氷川透の頭脳が回転する。その夜、論理だけを武器に明かされる驚愕と感動の結末とは!

 

■氷川透(ひかわとおる)
横浜生まれ。A型、射手座。東京大学文学部卒。『真っ暗な夜明け』で第15回メフィスト賞を受賞。精緻な論理と巧みな文章力で島田荘司氏を瞠目させ、その推薦を得て、2000年5月デビュー。新世紀本格の最も先鋭的な才能の一人である。著書は他に『最後から二番めの真実』(小社ノベルス)『密室は眠れないパズル』(第8回鮎川哲也賞最終候補作を改稿改題=原書房)がある。


第一章
旧友と出会って境界線を踏み越える

1

─二十世紀最後の夏。
八月七日、月曜日。
どこまでも、ひどく暑い日だった。
氷川透は、都会のどまんなかにいた。
夏だからといって、海抜の高い地域に行くとか潮風が涼しい地域に行くとか─早い話、山とか海とかに行くという趣味は、基本的に彼にはない。
氷川は、いまだに小説家になれてはいなかった。
原稿を持ちこんだ講談社の反応は思わしいものではなく、かといってこの際いっそ夢を断念しようという結論が導かれるほど絶望的でもないという、一定の視点からすると最も困ってしまうものだった。
いろいろ注文をつけられ、書きなおしてこれらをすべてクリアできればまた考えましょう、とか何とかあしらわれてしまった。
だがそう言われては、さらに努力するほかない氷川である。
何かが、自分の小説家としての能力を抑圧しているような気がする。
その何かは自分のうちにあるような気も、疑いにくいものとしてある。
……何だろう?
一つの仮説が彼のなかに育っていたのを否定することは、この際できない。
「探偵しているから」ではないか、と─
そこには、いかなる根拠もない。
探偵として現実の事件を解決したからといって、その人物がいい小説を書けなくなるなどという話は、言うまでもなく悪質な冗談というに近い。
それでも、氷川の実感としてはそこにいくばくかのリアリティがある。
(─そもそも、探偵にして小説家、なんてのは希有の存在なんだ)
ワトスン役にして小説家、というならいくぶん例は多いのだが。
かろうじて認められる例外がエラリー・クイーン。
および、法月編太郎。
この二人だけだ(二人、と言いきっていいのかどうか若干微妙だが)。
言うまでもなく、氷川としては親近感をいだく。
この二人は、あまりにも特殊だ。
誰がどう見ても小説家である。
にもかかわらず、同時に名探偵でもあるのだ。
こんな例は、めったにない。
とにかく─
(小説家としてデビューを果たすか、名探偵を続けるかーひょっとして、いま自分は決定的な二者択一を迫られているのだろうか?)
そこまでは思考しても、結局のところ氷川に結論は訪れない。
なぜなら、両者は両立しえない、などという命題が氷川にはやはり信じられないのだ。
クイーンを読みすぎたせいかもしれない。
だが、もしそうならばーかなり無理のある前提のもとに、氷川は思考する。
もし、どうしてもそうなのだというなら、自分はどちらを選ぶだろうか、と。
答えははっきりしていた。
氷川は、名探偵になりたいなどと思ったことは一度もない。
対して、小説家という存在に対しては、明確な欲望があった。
そうなりたい、と。
だからこそ、東都出版に原稿を持ちこんだりしたのだし、東京創元社の鮎川哲也賞にも応募したのだし、その後いろいろな経緯をたどって、結局のところ講談社の文芸図書第三出版部(いわゆる、講談社ノベルス編集部)に作品を読んでもらったりしているのだ。
氷川透は、小説家になりたかった。
でも、まだなれていなかった。
しかしとにかく、氷川は八月七日の夕方、猛暑の都会をあてもなく俳桐していた。
具体的に言うなら、新宿西口の副都心である。
何らかの具体的な目的があったわけではない。
強いて言えば、今度こそ講談社の編集者をうならせるような新作を書こうと、構想を練りあげるための徘徊だった。
のびのびと思考の翼を広げるためには、歩くことがいちばんだと彼は思っている。
人間のとる姿勢というのはおおむね、移動(歩く)、待機(立つ)、労働(座る)、休息(寝る)の四つである。
このうち頭脳労働に適しているのは、移動、休息、待機、労働の順ではないかというのが氷川の持論だ。
つまり、デスクワークというのは最も創造的思考にふさわしくないスタイルだということになるが、それはさておき。
とにかく、何か新しい思いつきを得る必要がある際には、氷川は歩きまわることにしている。
それも、そのときの気分に似つかわしい場所を。
真夏の炎天下だったら、似つかわしい場所は新宿の俗っぽい街並みだった。
それも、いかがわしい歌舞伎町や、妙なエネルギーが満ちた新南口ではない。
何かがからっぽな西口新都心こそが似つかわしい。
おそらくは何らかの体験に基づく、しかし本人ですら思い出せないプロセスによって形成された、きわめて個人的な黄金律とでも言えばいいだろうか。
一肌に痛いくらいの陽射し。
一ほとんど風もない、異様な湿度の高さ。
一熱っぽい空気が全身を包みこんでくるような不快感。
こういうとき、冷房の効いた環境に別れを告げてまで俳個するに値するのは、西新宿の異様なまでの虚無だ一氷川は、そう思ったのだ。
だから、超高層ビルの谷間や、都庁の双子ビルの前や、新宿中央公園を、あてもなくさまよった。
(本文P.9〜11)


 

 

 

 

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