裏と表
著者
梁石日
出版社
幻冬舎
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2002/2/10
ISBN4−344−00156−7
かつてない 金融サスペンス! 裏金作りに使われる金券ショップの秘密を明かす

裏金作りに使われる金券ショップの秘密を明かす。かつてない金融サスペンス!大企業の計画倒産の裏で暗躍する金の逃亡者たち。男たちに翻弄されながら生きぬく女。瀬戸際の攻防の先に見えるのは天国か、地獄か。本書は2000年9月18日から2001年3月31日までサンケイスポーツに連載された作品に加筆訂正したもの。



神田・神保町交差点から水道橋に向かって行くと、立ち喰いそば屋やマニアがやってきそうた古レコード店、ポルノ雑誌専門店、古本屋たどが軒を並べている隙間に、四坪ほどの小さた金券ショップがある。
間口二間、奥行き一間半の横に細長い造りだが、表戸とガラス窓に商品のチラシを貼って通行人の目を引くには恰好の店だった。
樋口正志がこの場所で金券ショップを始めたのは五年前である。
それまで彼はJR神田駅前の金券ショップ「オリエソト」に八年勤めていた。
勤めはじめた頃はバブルの絶頂期で、一日の売上げが三千万円を超していた。
従業員九人の十二、三坪の店で、一日の売上げが三千万円を超す商売は他にあまりないだろう。
粗利益は約三パーセソト、従業員の給料と諸経費を差し引いても、かたりの純益が残る。
杜長は税務対策が大変だった。
それと警察との良好た関係を保つ必要があった。
一日に相当た客が出入りし、ときには盗品や拾得物が持ち込まれたりすることもあるため、トラブルにたったときに警察の迅速な協力を得られるよう日頃からつき合っておく必要があるのだ。
盆・暮れには所轄の警察署に酒やビールを必ず差し入れていた。
樋口が「オリエソト」に勤めはじめたのはバブルの絶頂期であったが、それは同時に日本経済が軋みをあげはじめた頃でもあった。
その年の十二月二十九日、テレピのニュースで証券取引所の大納会の光景が映し出されていた。
その映像を観ていた樋口は奇妙た感覚に襲われた。
理事長の音頭で三本締めをしている証券マソたちの歓声がテレピの画面にはじけた。
高騰を続ける株価に興奮さめやらぬ証券マンたちの表情が異様に感じられた。
日経平均株価の最終値は三万八千九百余円、年が明けると四万円台は間違いなしの声があがっていた。
天井知らずの株価高騰に証券ンや経済の専門家たちが
疑いの目を持っていないのが不思議だった。
そして年が明けると株価は下落しはじめ、夏にはいっきに二万円台に暴落してバブルの崩壊が始まった。
「オリエント」の売上げは年々落ち込み、八年後には一日の売上げが一千五百万円を割っていた。
不景気の波はじわじわと押しよせ、リストラによる失業率が増え、樋口も危機感を持っていた。
三十五歳になる樋口は、一年ほど前から自分で店をやりたいと考えていた。
年齢的にも、また金券ショップという商売の可能性を考えたとき、いまをおいて他にないと思った。
資金は八年間の預金と大手運送会社の営業課長をしている高校時代からの親友、高瀬輝明に頼んでなんとかなるが、問題は場所だった。
本当はJRの新橋駅前か神田駅前に出店したかったが、そのあたりは激戦区で場所を確保するのに資金がかかりすぎる。
そこで不動産屋を徹底的に当たり、他の駅前を探してみたが、金券ショップができるような三、四坪の空き店舗はまったく見当たらなかった。
一ヶ所、御茶ノ水駅前にあることはあったが、坪三百万円というべらぽうな保証金を要求されて諦めた。バブル時代の不動産価格の感覚がいまだに残っているのだ。
樋口正志は二ヶ月ほど探しあぐねて半ば諦めかけていたとき、偶然、いまの店を見つけたのである。
「岩波ホール」で映画を観た帰り、居酒屋にでも入って一杯飲もうと水道橋駅に向かってぶらぶら歩いていると薄汚い古本屋が目に留まった。
間口二間のガラスの引き戸は汚れていて店の中がよく見えないほどであった。
樋口はいったん店の前を通り過ぎたが、すぐに引き返してガラス戸に貼ってあるA4の紙を見た。
貼り紙にはなよなよした字で、「この店貸します」と書いてあった。
中をのぞいて見ると、売れそうもたい古い文庫や紙屑のような雑誌が狭い店内に積んであり、切れかかった蛍光灯の下に一人の老人がしょんぽり座っていた。
樋口は開けにくいガラス戸を開け、
「こんにちは……」
と声を掛けて入った。
よほど物好きな人間でない限り、開けにくいガラス戸を開けて挨をかぶった古本を見ようとは思わないだろう。たぶんほとんどの通行人は、この店に気付かず通り過ぎるにちがいたい。
帳場に座っていた七十五、六の老人が、店に入ってきた樋口をしょぼくれた小さた目で見た。
「あの、表戸に店を貸しますと貼ってありましたが、この店を貸してくれるのですか」
と樋口は訊いた。
「ええ、貸します」
なんとたく頼りたい返事である。(本文P.3〜5から引用)

 

 

 

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