「二十両をけえし終わるまでは、大川を渡るんじゃねえ。どこでなにしようと勝手だが、それ以外で一歩でも渡ったら、その場で始末する」腕利きの大工である銀次の足は、永代橋を前にして動かなくなった。最愛の女性を失ったのがもとで賭場にはまり、挙句、仲間の家庭まで潰した銀次。その責めに押され更生を決意したものの、深川を追放されたとなれば仕事は激減する。博徒猪之介の縛りがどれほどきついことか、思い知ったのだ。懊悩し変転する運命を甘受した銀次。やがて、一条の光明を見出した時、思いもよらぬ奸計が銀次に牙を剥いた―ひとたび渡れば引き返せない、意地を貫く男の矜時を注目の新鋭が描く感涙の長編時代小説です。

天明八(一七八八)年一月十八日、凍てついた空の高いところに月があった。
さえぎる雲もなおおぱこあおかふかがわくろふねく、大横川の暗い川面を満月に近い月が照らしている。
蒼い光が、川に架かる深川黒船橋を浮かび上がらせていた。
五ツ半(午後九時)を過ぎており、町木戸が閉まるまで幾らもときがない。
人通りの絶えた橋に、背を丸めた銀次が差しかかった。
橋の真ん中で足を止めると、欄干に寄りかかって川を見詰めた。
木綿のあわせに半纏一枚だけで、足袋も履いていない。
ぼんやり川を見詰める潮垂れた姿からは、ひと月に二両も稼ぐ大工の威勢はうかがえなかった。
向かっているのは、七町(約七〇〇メートル)離れた木場だ。
行く先で起きることを考えて、銀次の足が黒船橋から動かなくなった。
銀次が暮らすのは大横川沿いの裏店、六右衛門店である。
三軒連なった長屋が四棟並ぶ裏店は、どれも六畳ひと間に二坪土間の狭い宿だ。
店子の多くは銀次と同じ職人だが、際立った違いがひとつある。
ほかの職人たちには家族があった。
この年の正月で銀次は二十七になった。
六右衛門店に暮らし始めてすでに六年、いまだにひとり者である。
銀次の在所は大島村だ。
川漁師の次男に生まれたが、舟も網も賃借りする長屋暮らしの貧乏所帯だった。
銀次九歳の夏、父親と兄は川の暴れ水に巻き込まれて舟を沈めた。
船主は蓄えなど一文もない一家に、失った舟代を弁償しろと迫った。
取れないと分かったあとは渡世人を使い、兄を尾張熱
田湊の鯨獲りに、父親は房州勝浦の漁船舟子に、そして母親は飯能の飯盛女にそれぞれ売り飛ばした。
銀次だけが残された。
不欄に思った長屋の職人が、深川高橋の大工棟梁初五郎親方のもとへ小僧の口を世話してくれた。
気働きのできる銀次を見込んだ初五郎は、仕事の合間に読み書き算盤を習わせた。
「この子は手筋がいい。とりわけ絵図を描く天分に秀でているようだ」
銀次の出来を寺子屋の師匠が誉めた。
喜んだ初五郎は、絵師のもとにも通わせた。
初めて鉋がけを許されたのは七年前の天明元(一七八こ年十月、銀次が二十歳の秋である。
この年の九月三十日に、江戸で大火事が起きた。
浅草伏見町から出た火は、吉原を焼き尽くしてやっと鎮まった。
初五郎組は仕事に追われた。
抱える大工は住込み三人に通いが三人だが、とても応じ切れない。
棟梁の初五郎が普請場で手斧を持っても、まだ手が足りなかった。
「この際だ、おめえも鉋を持ってみろ」
銀次はこの日まで、棟梁に隠れて鉋遣いの修業に励んでいた。
だれに教わったわけでもなく、見よう見真似である。
試し半分に使った初五郎が、銀次の仕事に目を見開いた。
月の半ばにはノコギリを持たせてくれた。
師走に入ると、銀次はノミも使える大工に育っていた。
「月が変わったら通いにしていいぜ。どこぞの裏店でも探しねえ」
天明二(一七八二)年の梅雨明けどき、一日の手間賃が二百五十文になったところで通いを許された。
初めてひとり暮らしができる……。
行方知れずの親兄弟を案じつつも、弾む足取りで見つけたのが六右衛門店だった。
佃町の裏店から高橋までは、本所へと続く一本道だ。
六百文なら三日で稼ぎ出せる店賃だし、店子もほとんどが職人である。
銀次はよそを見るまでもなしに決めた。
暮らし始めた翌年の天明三(一七八三)年七月に、浅間山が大噴火した。
空高く舞い上がった灰は陽をさえぎり、夏が勢いを失った。
たちまち米が実らなくなった。(本文P.9〜11から引用)
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