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著者
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大前研一 | |
出版社
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講談社 | |
定価
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本体価格 1500円+税 | |
第一刷発行
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2001/12/3 | |
ISBN4−06−210837−2 | ||
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■目次
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プロローグ人生、寄り道・わき道・回り道
私は今までにいろいろなことをしてきた。そろそろお暇を、と思ってもまだ五八歳だ。 登校拒否の子供の頃に始まって、アルバイトに精を出した学生時代、原子力の研究に燃えた二〇代、世界的なコンサルティング会社マッキンゼーで定年退職するまでの二三年間、そして「平成維新の会」を立ち上げ都知事選に出馬した五〇代前半、学校を作り後進の指導に明け暮れる昨今。 しかし、まだ平均寿命からみれば二〇年は残っている。 今では世界中どこに行っても私の本は各国語に訳され、手に入れることができる。 学生時代には、こんなことになるとは思ってもいなかった。 しかしよく見てみると、マッキンゼーの経営を担当し、かつ現場でのコンサルティングをしながら、私ほど本を書いたり講演をしたりした人間は結局ひとりも その後、早期定年制度を利用して引退し、私は残りの人生を日本の改革のために捧げようと立ち上がった。 考えてみれば、私は政治家には向いていない。 また私も、都民との会話の術を持ち合わせていなかった。 私は相当周到な人間である。 高校時代に鉄棒で懸垂を繰り返し鍛えた。 これが、若い頃から思い切りがよく、先生や上司に平気で楯突けた最大の理由である。 私は浜松の自衛隊の隊員とも、防衛大学のラグビー部の人間とも、スタンフォード大学の屈強な教え子とも何人も続けて腕相撲をやったことがあるが、その中で負けたのはただの一回だけである。 だから、場末の楽団くらいなら雇ってもらえるし、それで飯を食っていける。 いや、必ずそうしているだろう。 そういう人生が見えてきて廃業したのだから、「先生、先生」と呼ばれていなくても梅いはない。 そうなれば、エスタブリッシュメントがパニックとなり、暗殺団が結成されていたかもしれない。
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