イブの七人の娘たち
 
  あなたは誰の子供なのか? 人類をつなぐ固い絆が明らかになった。 母系でのみ受け継がれるミトコンドリアDNAを解読し、幾千の世代、幾万の生命を遡ると、誰もが太古の昔に生きた自分の祖先に出会うことができる  
著者
ブライアン・サイクス
出版社
ソニー・マガジン
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2001/11/10
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ISBN4−7897−1759−3

プロローグ

わたしはどこから来たのだろう。
あなたはそんな疑問を、何度自分に問いかけたことがあるだろうか。
両親のことは知っているかもしれないし、祖父母のこともわかっているかもしれない。

しかしほとんどの人の場合、それ以上さかのぼると、その痕跡は霧のなかへ消えてしまう。けれど誰でも、からだのあらゆる細胞のなかに、祖先から受け継いだメッセージを運んでいる。
それはDNA、つまり世代から世代へと受け継がれる遺伝物質のなかにある。
DNAには、個人としての歴史だけでなく、人類の歴史すべてが書き込まれている。

遺伝学テクノロジーの進歩のおかげで、いまその歴史が明かされようとしている。
ついに、過去からのメッセージを解読できるようになったのだ。
DNAは、古代から伝わる羊皮紙のように色あせることもなければ、息絶えてから久しい戦士の剣のように、地面でさびることもない。

風雨に腐食されることもなく、火事や地震でくずと化すこともない。
それはわれわれ全員のなかで息づく、古代世界からの旅人なのだ。
この本は、われわれの種ホモ・サピエンスの歴史が遺伝子に記録されていった道筋について語っていく。

その遺伝子を通じて、遥か昔、文書の記録や石に刻まれた碑文が登場するずっと前の時代まで、祖先をたどっていけるのだ。そうした遺伝子は、十万年以上も昔にはじまったひとつの物語を語ってくれる。
そしてその最終章は、われわれ一人ひとりの細胞のなかに秘められている。

これは同時にわたし自身の物語でもある。
現役の科学者として、まさに適切な時代に生まれ、現代遺伝学が認める過去へのすばらしい旅路に積極的に参加できたのは、じつに幸運だった。
わたしは何千年も昔の人骨からDNAを見つけ、それとまったく同じ遺伝子をわたし白身の友人のなかに見つけることができた。

そして驚いたことに、われわれは全員、母親を通じて、何万年も昔に暮らしていたほんのひと握りの女性たちとつながっていることがわかったのだ。
本書では、遺伝学研究所でじっさいになにが起きているのか、語ってみようと思う。
どんな仕事でもそうだが、科学にもいいときもあれば、悪いときもある。英雄もいれば、悪漢もいる。

 


第一章

きっかけは五千年前に死んだ「アイスマン」の発見


アルプス山脈で眠りつづけたアイスマン一九九一年九月十九日の木曜日、ドイツ、ニュルンベルクのベテラン登山家、ジーモン夫妻は、そろそろ終わりにさしかかったイタリア・アルプスでの登山休暇を楽しんでいた。
前夜、夫妻はスケジュールを変更して山小屋に一泊し、翌朝、山を下りて車まで戻るつもりだった。

ところが一夜明け、燦々と輝く太陽を目にしたふたりは、標高三千五百十六メートルのフィナイルシュピッツェに登ってみることにした。
そしてリュックサックを取りに山小屋へ戻る途中、彼らは道しるべのついた山道を外れ、溶けかけた氷が残る渓谷へと入り込んだ。
その氷から、裸の男の死体がぬっと突きだしていた。

薄気味悪いことではあるが、アルプスの高地ではそうした発見物はそうめずらしいことではない。
だからジーモン夫妻も、十年か二十年前にクレバスに転落した登山者の死体だろうと考えた。
翌日、現場をべつの登山家ふたりが訪れることになるが、彼らは死体の近くに落ちていた古めかしいアイスピックのデザインに頭をひねった。

その道具の様式から考えて、この転落事故が起きたのはかなり昔のことのようだった。
通報を受けた警察が行方不明になった登山者の記録とつき合わせた結果、身元としてまず候補にあがったのは、一九四一年にそのあたりで消息を絶っていたイタリア人の音楽教授だった。
ところがその数日後には、どうやらこの事故が起きたのが現代ではないらしいということがわかってきた。

死体のわきに落ちていた道具は、現代のアイスピックというより、大昔の斧に似ていた。
カバノキの樹皮でつくられた袋も近くで見つかった。
その男性が死んだのは数十年や数百年前ではなく、数千年前だということが、少しずつ明らかになってきた。

そうなるとその死体は、国際的な重要性を持つ考古学的発見ということになる。
やがて「アイスマン」と呼ばれるようになるそのひからびた死体は、オーストリア、インスブルックの法医学研究所に運び込まれ、冷凍保存された。
そのあいだに世界各地から国際的な科学者が集められ、このユニークな発見物の精密調査にあたることになった。

 

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